第612回 アジアのトイレ事情 直井謙二
アジアのトイレ事情
30年に及ぶアジア取材で様々なトイレにお目にかかった。1989年秋、茫漠たるタクラマカン砂漠にある楼蘭遺跡を写生する日本画家の巨匠故平山郁夫画伯に同行取材したことはすでに書いた(小欄 第28回遥かなる楼蘭の記憶)。タクラマカン砂漠は砂地が地平線まで続き遺跡以外は何もない。
テントを張っての過酷な取材だ。夜間は気温がマイナス15度まで冷え込む。寝袋の上から人民解放軍のコートを借りて重ね携帯カイロを数個寝袋に放り込んでみたが、寒くて眠れない。夜中、トイレに行きたくなった。砂漠には「ヤルダン」と呼ばれる隆起の陰もあるし誰もいないから問題ない。しかし寝床から抜け出し極寒の外に出れば命が危ない。仕方なく夜が明けるまで我慢した。
新疆ウイグル地区のドライブインのトイレにも驚いた。トイレには仕切りがなくホールのように大きい。数人が談笑し、新聞を読みながらしゃがみ込んでいる。中国は歴史的に食事、つまりカラダに入れる方には力を注ぐが、カラダから出す方には無頓着だったようだ。
打って変わって乾季のカンボジア、東南アジア最大の湖トンレサップ湖でのことだ。大勢の農民が各地から集まり「プラホック」と呼ばれる魚の塩辛作りに余念がない。水上に人家が見えるが、その人家にトイレはない。(写真)人間の排泄物は水中に棲む魚の絶好の餌となる。見事なリサイクル、究極のエコだ。
同じカンボジアでもアンコール遺跡観光で賑わうシエムリアップには「グランドホテル」を始め欧米系の高級ホテルが並び、豪華なプールや清潔なトイレが完備されている。しかし、初めてアンコール遺跡を訪ねた1986年は事情が全く異なっていた。(小欄 第22回昨今のアンコール)
当時はポルポト派の支配地区で夜間はポルポト派の兵士が自由に闊歩するので宿泊ができない。日帰りのアンコールワット取材を済ませ昼食のために「グランドホテル」に立ち寄った。エレベータは故障し宿泊客は皆無でがらんとしていたが、食堂は営業していたのでカンボジアのうどんを食べた。食後、トイレに行きたくなったので暗いトイレの個室に入ってみると便器が粉々に壊れている。別の個室を見たが、すべての便器が破壊されていた。
外務委員会のスタッフによると文明を否定するポルポト政権が西洋文明の一つであるトイレを全て破壊したのだという。仕方なく何度も足場の位置を変え、アクロバットのような姿で用を足した。現在はラッフルズ系のホテルになって外観はあまり変わっていないが、内部はトイレを含め見事に改築されている。
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