「安全条例」で香港は一段と大陸化し、「大湾区経済圏」で華南地域との一体化進む(上) 日暮高則

「安全条例」で香港は一段と大陸化し、「大湾区経済圏」で華南地域との一体化進む(上)
香港では「基本法」23条に基づく「国家安全維持条例」が3月に施行されて以降、大陸内と同様に域内の政治的な安全感が薄れ、企業やビジネスマンが緊張状態に置かれている。このため、外資の流入は減り、外国企業は撤退の動きを見せている。また、香港の優秀な人材も次々と海外への”逃亡”を図っている。この結果、経済は低迷し、かつては「東洋の真珠」と言われた香港の輝きは失われつつある。それでも、香港特別区政府と北京の党中央は「安全条例がむしろ経済発展の礎(いしずえ)になる」とあくまで強気だ。広東省の珠江河口地域はかつて「華南経済圏」と呼ばれていたが、今は香港・マカオとともに「大湾区経済圏」を形成、一体的な発展を図ろうとしている。つまり、「一国二制度」の垣根を低くし、大陸と香港間の人的往来、物流をスムーズにしようとの狙いだ。中央政府は、香港をもう特別な”区域“とは考えず、「one of Chinese cities(中国の一つの都市)」に変貌させようとしている。香港はそんな中で存在感を示すことができるのか。
<23条の立法化>
香港基本法とは、もともと一国二制度に基づいた別地域である香港特別行政区のベースとなる法律で、「ミニ憲法」とも言われた。その23条には「国家(中国)に反逆したり、分裂させたり、反乱を扇動したり、中央政府を転覆させたり、国家の機密を窃取したりするいかなる行為も禁止する、外国の政治的組織が特別行政区内で政治活動をすることを禁止する、香港の政治的組織が外国の政治的な組織・団体と関係を構築することを禁止する」と書き込まれている。北京当局と香港政府は1997年の主権回復以来、この条文を具体化するための条例作りをずっと進めてきた。これに対し、香港市民、民主派団体は「この条文には政治的抑圧の危険性を孕んでいる」として反対し、2003年には50万人規模の反対集会、デモが行われた。この時は香港政府が制定を断念した経緯があった。
その後も、北京当局は、香港行政長官選挙で民主的な候補者を制限するなどの圧力を加えたため、若者たちが反発して2014年に「雨傘を振りかざす抗議行動」を展開。19年には、中国本土への犯罪容疑者引き渡しに反対する200万人規模の大規模抗議行動を起こし、警察と街頭で激突した。これを見た北京当局は、2020年7月に国家レベルで「香港国家安全維持法」を制定し、早々と抑圧の態勢を取った。現地に「国家安全維持公署」を設立し、民主主義を標榜する政党を危険な団体として事実上活動ストップさせたほか、民主活動家を次々と逮捕していった。1997年の主権返還時に、香港の民主主義制度の「50年不変」が約束されたはずだったが、この期間の半分にも満たない2020年に早くもこの約束は反古にされてしまった。そして香港当局も23条の条例化に動き、今年3月19日、立法議会が「国家安全維持条例」を可決し、即施行された。
警察官僚出身の李家超行政長官は「条例によって香港に安全と安定がもたらされ、企業や投資家にとってこれまで以上に魅力的な場所になる」と胸を張った。だが、西側の反応は厳しい。旧宗主国である英国のキャメロン外相や米国のブリンケン国務長官は「香港人の権利と自由を損なう」と批判。英国は香港人のBNO(英国海外市民旅券)の枠を拡大し、自国への渡航、移住を促す一方、米国は香港政府高官に対しビザ発給を制限する方針を明らかにした。香港の西側諸国の事業所はこうした流れを事前に察知したようで、北京で香港国家安全法が成立してから1年間で香港の人口は約8万7000人減少した。その後、香港政府は大陸からの流入者らを受け入れたため、人口減には歯止めがかかっているが、香港育ちの金融,IT関係などの頭脳労働者の海外脱出熱は続いている。香港人はこれまで自由を謳歌してきただけに、安全条例が拡大解釈され、逮捕、拘束される恐怖感を募らせているのだ。
一方、香港政府側は安全条例の実効性を上げるよう着々と手を打っている。蕭沢頤警務処長(警察のトップ)は条例制定に先立つ2月11日、「今年中に繁華街や治安上問題があるところに高精度の街頭監視カメラ2000台を設置する」と語ったが、手始めに3月中、特別区政府庁舎、立法議会周辺、銅鑼湾の繁華街、かつて6・4連帯集会が開かれていたビクトリアパークなどに615台を設置した。監視カメラは望遠、広角が利き、個人の識別もできる高精度のものであり、設置目的は一般的な犯罪防止と言うより、反政府活動の取り締まり、民主派市民の行動監視にあることは明らかだ。蕭警務処長は「シンガポールでは9万台、マカオでも1700台の監視カメラがすでにあり、香港だけが特別ではない。香港のような人口密集地域で2000台は不十分だ」と述べ、さらに増やす意向も示した。
李家超行政長官は1月末、情報窃取を取り締まる「香港版反スパイ法」の条例や、海外企業、団体の政治活動を制限する別の条例制定に向けて動き出す考えも明らかにした。香港メディアによれば、その条例の具体案は今年7月までに提示されるという。条例制定に向けてすでにその兆候が見られた。4月10日には、「国境なき記者団(RSF)」の職員がチェプラック国際空港に到着後6時間にわたり尋問を受けた後入境を拒否され、退去させられた。RSFは報道の自由を守る目的で作られた多国籍のジャーナリストの団体。退去させられたのは人権擁護担当職員で、ジミー・ライ氏の裁判を傍聴することが目的だったという。香港市民はこうした監視体制が強まる情勢を受けて、「大陸の都市どころか、とうとう(イスラム教徒への監視が厳しい)新疆ウイグル自治区住民同様の扱いになる」と嘆いている。
<民主派への弾圧>
現在、香港の民主派は肩身の狭い状態に置かれている。著名な民主活動家である黎智英(ジミー・ライ)氏は、かつて域内外で「ジョルダーノ」という廉価のアパレル・チェーンを展開したほか、週刊誌「壱週刊」や日刊紙「蘋果(リンゴ)日報」という反北京中央の立場を貫く媒体を運営していた人物だが、今は、国家安全維持法違反で逮捕、拘束されている。その罪状については明確に示されていないが、香港では「ライ氏がかつて数人の仲間とともに、香港の『亡命政府』樹立を画策していたことあった」という情報が流れている。同地の電子媒体がある民主化組織のメンバーの公判証言として伝えたもので、ライ氏らは亡命政府樹立後、独立を宣言する計画だったと言われ、それが香港国安法の「国家分裂行動」禁止に抵触したのだという。
そう証言したのは李宇軒氏という活動家。李氏ら11人は国安法成立後に船で台湾に逃れようとしたが、中国の深圳警察に捕まり、一定期間拘留されたあと、身柄を香港に引き渡され、現在同地で裁判を受けている。李氏らは「重光団隊」という組織名を使って「諸外国は中国と香港に制裁をかけろ」と主張する意見広告を海外のメディアに掲載した。その資金を提供していたのが黎智英氏であり、同氏が事実上そのグループのトップだったと言われる。また、「亡命政府」樹立の計画では、海外にいる香港の民主活動家を糾合し、その中心的指導者に知名度の高いライ氏を据えようとも相談していたという。亡命政府の樹立地は明らかにされていない。李氏の証言通り「香港の分離、独立」を企てたとなれば、国安法上では重罪であり、これによって黎氏の刑罰は一段と重くなることが予想される。
ライ氏については国際的に関心が高く、カナダ下院人権委員会も2月初旬に公聴会を開き、香港政府に対し、直ちに釈放するよう要求した。この公聴会に出席したのは黎智英氏の法律顧問団、子息の黎崇恩氏、それに人権団体「ホンコン・ウォッチ(HW)」のメンバーで、彼らは席上「香港の立法議会議員に対し、カナダ国内に持つ不動産などの資産を凍結するという方策も考えるべきだ」と進言した。HW政策顧問のキャサリーン・ローン女史は、米国がすでにジミー・ライ逮捕事件に関して中国人、香港人25人に制裁を加えていることを引き合いにして、「カナダも同様の制裁措置を取るべきだ」として資産凍結を主張した。
カナダでは米英と同様に、人権侵害に関わった外国人個人を自国に入国させない、国内の資産を凍結するというマグニツキー法を制定済みだ。香港政府高官も中国政府の意向を受けて人権弾圧などに関わったとすれば、この対象になり得る。同国ではバンクーバーやトロントを中心に香港人が多く住み、香港政府高官が子弟らを留学あるいは居住させているケースも見られる。このため、自由な渡航が阻止され、資産が凍結されるという”脅し“がかけられれば、香港人にはかなりの圧力になる。ローン女史はまた、「香港の企業、個人はいつでもジミー・ライ氏と同様の境遇に置かれる恐れがある」とも述べ、今後同様事件の再発防止のため、米、カナダに対し引き続き中国、香港当局に圧力をかけるよう促した。
ライ氏と同様に民主派の闘士として名高いのが、若者中心の政党「香港衆志(デモシスト)」の創始者の一人である周庭(アグネス・チョウ)女史だ。香港民主運動の女神、ジャンヌダルクとも称される。独学で学んだ日本語が流暢なので、日本でもニュース画面に多く登場、知名度が高い。彼女は雨傘運動に参加して逮捕され、3年間獄につながれた。出獄後カナダに移住し、「二度と香港に戻らない」とカナダ亡命を宣言した。それでも香港警察は今年2月初旬、「外国勢力と結託した」という容疑で再び逮捕令を出し、「出頭しなければ一生追い続ける。いかなる努力も惜しまない」と圧力を掛け続けている。このため、周女史は精神的に追い込まれ、身体に不調を来し、日常生活にも不便を強いられているという。
香港域内では、民主党系の議員が逮捕、拘束され、民主派の自由な活動はほぼ消滅してしまった。行政長官選挙どころか、立法議会選挙においても民主派の立候補はできない。そのために香港人の政治活動は海外で行うほかはない。若者の移住先として多いのが台湾で、とりわけ「香港国家安全維持法」の国法が成立して以来、移住者は激増し、2020年から3年間で在台居留許可を得た香港人は3万人以上とも言われる。彼らは民進党政権の庇護を受けて台北で集会、デモを行い、反中国、反李家超の政治的主張を続けている。海外香港人の抗議行動は台湾のほか、カナダ、米国、日本などでも行われている。
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