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「安全条例」で香港は一段と大陸化し、「大湾区経済圏」で華南地域との一体化進む(下) 日暮高則

「安全条例」で香港は一段と大陸化し、「大湾区経済圏」で華南地域との一体化進む(下) 日暮高則

「安全条例」で香港は一段と大陸化し、「大湾区経済圏」で華南地域との一体化進む(下)

<香港経済の低迷>
香港政府の統計によると、2022年の実質域内総生産(GDP)は速報値で前年比3・5%の減だった。民間消費支出が1・1%の減、社会資本整備などの固定資本形成は8・8%の減だった。2019-22年の4年間で3年がマイナス成長。これは、新型コロナウイルス対策の入国規制で来訪客が減り、輸出も振るわなかったことが原因としている。コロナの影響は否定できないが、それより民主化デモによる域内の混乱と香港国家安全維持法による外国資本の流出が景気後退に大きく影響したのではないか。2023年のGDPは一転、前年比3・2%増とプラスとなった。これはコロナ危機を脱したほかに、〝人為的なテコ入れ″があったからであろう。香港政府も「積極的な景気刺激策を講じた結果だ」と分析している。

では、今年はどうか。香港政府は5月2日、第1四半期(1-3月)成長率について、速報値で前年同期比2・7%の増であると発表した。昨年第4四半期には同4・3%増であったことに比べると、大幅なダウンとなった。米ドルペッグで香港ドルが高値状態にあったため、春節時の訪問客が少なく、消費が伸び悩んだことが大きな理由とされる。ただ、同期の香港訪問客数は125万人であり、前年同期比で2・5倍増であった。訪問数は増えたが、買い物を控える人が多かったということか。大陸では今、デフレ傾向から将来に備えて買い控え現象が起きており、このトレンドが香港にも波及しているのかも知れない。中国国内では消費がGDPの5割近くを占めており、成長率にかなりの影響を与えるが、それでも中国国家統計局が4月16日に発表した第1四半期の成長率は5・3%増だ。これと比べると香港の数字は乖離がありすぎる。

中国国内で反スパイ法の改正があり、外国企業や外国人への監視が強まる傾向が出てきた。香港の外資系企業、ビジネスマンは、国安法の成立を見て、反スパイ法が香港でも準用されるのではないかとの恐れを感じ、香港への投資は減少、海外企業は撤退する動きを加速させている。香港政府の統計によれば、外資系企業は2019年から2022年までに約9%減少した。とりわけ、撤退が多かったのが米国企業であり、2022年6月時点で1258企業と2004年以降最低の数になった。東アジア地域の本部を香港に置く米企業はピーク時に比べて3割減となったという。米企業だけでなく、豪州のウエストバック銀行、ナショナルオーストラリア銀行も香港撤退を表明した。

ちなみに、当地の経済情勢などを自由に報じてきた海外のメディアや調査会社も、今後厳しい監視にさらされ、拘束されることを恐れ、撤退しつつある。米政府系放送局の「ラジオ・フリーアジア(RFA)」は3月29日、香港支局を閉鎖したことを明らかにした。同社は中国国内の反スパイ法を見て、香港でも通常の取材活動が「外国勢力の干渉」という”犯罪行為“とみなされる恐れもあると懸念したのだ。米紙「ウォールストリート・ジャーナル」によれば、「ナルデロ」や「リスク・アドバイザリー・グループ」というリスク助言会社も撤退か事業縮小を決めているという。こうした西側企業は「政治的中立性を保っている」といかに主張したところで、北京や香港当局には批判的な言動、調査結果に映り、国内同様、マイナス情報の発信は許さないとの方針で取り締まりを強めてくるであろう。

<大陸、香港の一体化>
香港で西側の人や事務所が減っていく一方で、大陸と香港の一体化が進んでいる。両地人民の行き来が最近、顕著に増加、とりわけ香港人が”北上“して大陸に入る状況が目立っている。今年3月29日-4月1日の香港イースター(復活節)の4日間休暇に、越境して大陸側に入った人は延べ300万人以上に達した。これは史上最高の人出だという。香港人は家族連れで主に日帰りで飲食を楽しんだり、1、2日間の日程で深圳の「世界の窓」などのテーマパークや広東省各地の観光地を訪れたりしている。もちろん、香港内にもディズニーランドや海洋公園などの行楽施設はあるが、ほとんどの人が行き飽きているし、比較的長い休みなので大陸遊に出たようだ。香港-深圳間では今、3つの口岸(入出境口)があり、自動化が進んでいるため、香港IDカードを持っていれば、入出境はかなりスムーズである。

香港人が大陸を目指す理由の一つは、物価が安いことだ。大陸側は今、デフレ状態にあり、物価は下がり続けている。その一方、香港では高値の米ドル同様の価値を持つ独自通貨が使われているため、米国、西側先進国並みの物価水準にある。大勢で食事をする場合、彼我の比較で、交通費を使っても深圳や珠海に行って現地レストランに入る方が割安感を感じるのだ。親中国系香港誌「亜州週刊」によれば、ある香港人は「値段だけの問題ではない。最近、香港のサービス業の質が落ちている」と語っている。これはすなわち、物価が高いため、接客業の現場では雇用人数を減らいているし、レストランなどではそれほど良くない素材を使っているということを暗に指摘したものであろうか。

亜州週刊はまた、「香港人の”北上熱“は飲食に限らない、大陸の医療システムを頼りにする人も多い」と書く。香港人はこれまで大陸の医療技術に不案内で信を置いていなかったが、2012年に深圳で香港大学の病院(分院)ができた。さらに最近、深圳に医療方面の仲介者が出現、香港人の案内役を引き受け、利便性が増したのだ。彼らは病院まで付き添い、胃カメラ、CTスキャンなどの検査、白内障などの簡単な手術で半日200人民元程度の付き添い料を得る。深圳には北京標準語しか話さない医師も多く、普段広東語で通す香港人は医学用語の標準語会話に苦労するが、仲介人は診察に付き合い、その通訳もする。さらには、患者に代わって病院窓口で申し込んだり、薬を受け取って送ったりの手間も代行する。香港メディアによれば、香港大学の病院設置で香港人の信頼度が増したほか、香港内より診療費が安いことも魅力になっているという。

香港では米国並みの物価水準にある割には、その分だけ香港人の給与が上がっているかと言えば、そうでもない。海外企業が撤退していることで雇用環境が悪化し、労働市場は買い手(雇用主側)優位になっているからだ。象徴的な現象として、香港島中環(セントラル)のビジネス街では今、一杯10香港ドル(200円程度)のコーヒーを提供する店が評判を呼んでいる。この店は浙江省杭州市発祥の「T97珈琲店」が香港に出したショップ。バブル時代の大陸では、「スターバックス」などの外資系コーヒー店で一杯30-40元が当たり前に飲まれていたが、デフレ不況となってからは、一杯6・5元(130円程度)で提供する中国のコーヒーショップT97珈琲店に人気が集まっている。すでに中国国内40都市に500以上の店舗ができている。これが香港にも出店、大歓迎されたのは、同地サラリーマンの懐具合がそれほど良くないことを物語っている。

大陸から香港に来る観光客も増え続けている。かつて中国からの入境者は一日当たり6万人と制限されていたが、昨年早々にその入境者制限もコロナのPCR検査もなくなった。これで入出境がスムーズになったほかに、最近はデフレ不況で所得が抑えられている大陸中国人が遠い海外への旅行を避け、近場の香港、マカオを目的地に選ぶようになった。特に、大陸人は人民元通貨への不安から財産をゴールド(黄金)に替えようという風潮があり、そのためには価格が国内より安い香港にゴールドを買いに来ている。香港は自由貿易港で関税がなく、海外ブランド製品に割安感があったため、かつてはそれを求めに来る大陸人が多かったが、今はブランド品よりゴールド狙いである。香港には至るところに宝飾店があり、国内より買いやすい利便性もある。

香港はもともと観光業を重視し、それで成り立っていた地域。だが、「香港国家安全維持法」などで取り締まりが強化されたのではないかといううわさが広まり、近年、西側からの訪問客は減少傾向にある。その穴埋めとして期待してきたのが大陸からの来訪者であり、香港政府も大陸人の誘致に熱心だ。李家超行政長官は今年5月14日、大陸から来る個人観光客に200香港ドルの「クーポン券」を出すことを明らかにした。ただし、発給対象者は、香港から遠く離れた新疆ウイグル自治区のウルムチ、寧夏回族自治区の銀川、チベット自治区のラサ、内モンゴル自治区のフフホト、青海省の西安、甘粛省の蘭州、黒竜江省のハルビン、山西省の太原の8都市という香港から遠く離れた都市の人に限るとしている。これら8都市からの来訪者は年間30万人程度だが、富裕層が多いせいか計12-15億香港ドルの消費効果が見込めるという。辺境の地からの訪問者に限ったのは、観光業を全国的に発展させようとする中央の方針でもあるようだ。

<大湾区構想>
1990年代には、深圳、東莞、珠海、中山など広東省沿岸デルタ地域は、華南経済圏で香港の後背地、生産基地となっていた。と言うことは、この地域の中心はあくまで香港であった。現に深圳に工場を持つ日系、西側企業は事務所を香港に構え、外国人従業員は、ウィークデーには深圳など広東省側にいながらも、土日は香港の自宅に戻るといった生活スタイルを取るケースが多かった。ところが、今や華南経済圏という言葉は使われず、大湾区経済圏という言い方になっているのは、この地域の中心はもはや香港でなく、深圳などの珠江デルタ地区に移っているという中国政府の認識があるのかも知れない。広東省の役人の中には「香港は特別ではない。むしろ南深圳という地名に変えてもいいのではないか」と言う人もいるほどだ。

華南から大湾区と呼称が変わったこの広域経済圏はまた、事実上大陸諸都市と香港、マカオとの垣根を取り除いてしまった感がある。そのきっかけとなったのは「港珠澳大橋 」の存在が大きい。2018年10月28日に開通した世界最長の海上橋(一部海底トンネル)で、香港のランタオ島から珠江の河口を横断し、途中からマカオと珠海に分かれる総延長55キロの海上ルートだ。香港、マカオ、珠海の3地区の間ではピーク時は5分おきに24時間運航されている。珠江上流には虎門大橋もあるほか、近い将来、深圳と対岸の中山市を結ぶ「深中通道」も完成する。このため、従来珠江によって行き来が阻害されていた両岸の人流、物流は飛躍的に便利になった。香港とマカオ、珠海の直結によって、もはや両岸に「二制度」下の特別行政区があることを忘れさせるくらいだ。

亜州週刊のコラムは「香港人は大湾区の生活圏に入ることで“社会主義の優越性”を享受できるようになった」と指摘、その好例として60歳以上の香港人が深圳の地下鉄など公共交通機関にフリーパスで乗車できるほか、香港人も深圳の社会保険に加入できるようになったことを挙げた。深圳の企業で働く香港・マカオ人で養老保険に加入しているのは16万人。また、工傷(労災)保険の加入者は8万人以上、失業保険が7万人以上いるという。これを見る限り、人民の意識でも一国化が一段と進んでいるように見受けられる。富裕層や政治的自由を謳歌したい香港人は海外に逃げても、比較的所得が低く、生活を最重視する人たちは同地にとどまり、必至に明日の暮らしを考えているようだ。

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