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第327回 駆け出し時代の恩人との十数年ぶりの再会 伊藤努

第327回 駆け出し時代の恩人との十数年ぶりの再会 伊藤努

第327回 駆け出し時代の恩人との十数年ぶりの再会

駆け出しの記者時代に原稿の書き方や外国通信社の英文記事の翻訳のコツなどを教わった元職場の大先輩、Nさんと十数年ぶりの再会を果たすことができた。「昔の先生」を囲むような形の都内新橋にある居酒屋での集まりには、実に35年ぶりの再会という元職場の2年先輩を含め5人が参加したが、Nさんは80歳近くということで、そのお姿を拝見し、長い歳月の流れを感じた。
 
事情があって会社を中途退社したNさんと久しぶりの再会となったのは、幾つかの理由があるのだが、連絡が長く取れずにいたというのが真実に近い。別の言い方をするなら、ある期間を通じて「消息不明」の状態が続いていたためで、昔の職場の先輩・後輩らとの集まりがあると、連絡が取れずにいたNさんのことが必ず話題になった。
 
学校を卒業し、社会人となって当分の間は職場の先輩からいろいろと仕事の手ほどきを受けるのが普通だろうが、当時も今も独身のNさんは3交代制のシフト勤務を外れると自由な時間があったためか、若手記者の指導に当たることが多かった。筆者を含め元職場の新人や若手の間ではNさんに恩義を感じている者が少なくない。
 
今から思い返すと、ロンドン特派員から本社に戻り、最年少のデスク(記者が書く原稿の指示・チェック役)だったNさんの個人指導を受けた期間はわずか数年にすぎないのだが、その間には、若手記者を対象にした合宿の勉強会を開くなどして、その成果は会社が発行する国際問題専門週刊誌の特集の形で何度か結実した。7~8人で分担執筆した特集号の各原稿は参加した記者にとっては初めての署名記事となっただけに、執筆時の苦労は思い出深い。署名原稿が活字になるまでに何度も書き直しを命じられたからである。

もちろん、最も心血を注いだのは、若手記者全員の稚拙な原稿に目を通し、書き直しを命じたり、多くの個所に筆入れしたりしたNさんだったが、何度かの特集号が会社の内外で評価する声もあったと後で聞き、苦労が報われたと思ったものである。

若い時分の仕事の恩人とも言えるNさんとの再会がかなったのは、全くの偶然だった。筆者が本や雑誌、資料類が雑然と積まれた自宅の部屋の片づけをしていたら、10年前のメモ書きが見つかり、そこにNさんの携帯電話の番号があったのだ。ダメモトを承知で電話してみると、向こうから懐かしい声が聞こえてきた。何でも千葉・外房のある町で晴耕雨読の生活をしているそうで、長年の無沙汰をおわびすると同時に、会いたがっている元後輩が何人かいることを伝え、冒頭に紹介した会社の旧社屋に近い新橋での「囲む会」となった。

会合の幹事役としてアテンドしたため、Nさんの行方不明時の生活ぶりや現在の状況をよく知ることができたが、筆者らの前から姿を消して以降の半生は、身に降りかかった債務問題を含め、「波乱万丈」と表現できそうに思われた。数日後、Nさんからお礼の電話がかかってきたが、「もう一度みんなで本でも出そうや」と繰り返していた。まだ意気軒昂であることに少しばかり安堵するとともに、筆者ら当時の若手記者との交流がNさんの人生にとっても光り輝いていた時期だったのかもしれないと思った。

 

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