1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 第315回 ラジオ番組の人気コーナーの舞台裏 伊藤努

記事・コラム一覧

第315回 ラジオ番組の人気コーナーの舞台裏 伊藤努

第315回 ラジオ番組の人気コーナーの舞台裏 伊藤努

第315回 ラジオ番組の人気コーナーの舞台裏

少し前のことで恐縮だが、毎週末の土曜日早朝に寝床で聞くのを楽しみにしていたラジオ番組の一つのコーナーが20年目のこの3月末で終了した。「音に会いたい」というコーナーで、ご存じの方もおいでだろう。リスナーが昔、子供のころや青春時代に生活の中や旅先で出会った音にまつわる思い出、出来事などを投書で放送局の番組担当者に送り、採用された投書2本をそれぞれ番組の担当ディレクターが5分ほどにまとめ、アナウンサーのナレーション付きでその内容を音で再現するという趣向だ。音が主役のコーナーだけに、視覚に訴えるテレビ向けの番組ではない。

最終回は、川崎市在住の76歳の闘病中の男性の投書が採用され、70年前の第2次世界大戦終了直後に当時のソ連軍に追われる形で樺太(現サハリン)から日本の最北端・宗谷岬に着の身着のまま同然で親子4人が引き揚げてきたときの音にまつわる思い出を綴っていた。投書の男性は当時5歳の子供で、2歳下の妹とともに母親に手を引かれ、港で引き揚げ船から陸に上がったときに稚内で耳にした北海の波音やカモメの鳴き声を懐かしく思い出すと書いていた。

担当のディレクターはこの投書を基に、現地で同じ状況の音を録音したり、時には放送局に保存してある効果音を利用したりして「音に会いたい」という投書の主の要望に応える状況を再現するわけだ。コーナーの内容や性格もあってか、「音に会いたい」に投書を寄せる人は高齢者が多く、状況の再現はさながら昭和時代をさまざまな角度から垣間見るような格好となった。

平成の世になってすでに四半世紀以上がたち、昭和を知らない若者が圧倒的多数となったが、昭和を長く生きた中高年の人たちにとっては、昭和の時代は人生にとっては忘れることはできない期間でもある。土曜日早朝のラジオ番組の小さなコーナーだったにもかかわらず、20年もの間、番組改編の嵐の中を生き抜いてきたのは、昭和という時代に思いを寄せるリスナーの根強い人気に支えられてきたからでもあろう。

「音に会いたい」の最終回が放送された日、このコーナーをスタート時から担当してきたディレクターのE氏が電話で出演し、放送局ではずっと後輩のアナウンサーとの間で番組では最初で最後と思われるやりとりをしていて興味をそそられた。というのも、Eディレクターがこのコーナーを引き受けたのが会社で定年を迎えた60歳のときで、当時は2年ほどで打ち切りになると思っていたコーナーはその後、20年も続き、E氏は今、80歳となっているというのだ。

放送マンとして定年まで活躍し、定年後にそのセンスや番組づくりの経験を買われて80歳になるまで、毎週のラジオ番組の人気コーナーを裏方として担当するとは何ともうらやましい。リスナーや番組関係者に繰り返し感謝するE氏の謙虚な人柄が電話でのやりとりから伝わってきたが、テレビ・ラジオの長寿番組や人気のコーナーは、受け手と作り手の双方の思いがあってこその合作という印象を強くした。毎週土曜の早朝に「音に会いたい」が叶わなくなるのは何とも残念である。

《アジアの今昔・未来 伊藤努》前回  
《アジアの今昔・未来 伊藤努》次回
《アジアの今昔・未来 伊藤努》の記事一覧

タグ

全部見る