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第155回 バンコクの卵かけご飯 伊藤努

第155回 バンコクの卵かけご飯 伊藤努

第155回 バンコクの卵かけご飯

バンコクの駐在時代に、住居や仕事場の近くに幾つか行きつけの食事の店があったが、その一つが「よってけ」という一風変わった店名のおでん屋兼居酒屋だった。夜遅くになると、仕事が終わった記者仲間との情報交換の場にもなっており、ご主人夫婦が共に気さくな方であったこともあり、随分とお世話になった。店の名前の由来は、自慢のおでんが食べたければ「寄っていけ」、あるいは好きな酒を飲んで「酔っていけ」という2つの意味があるそうだが、「よってけ」の店主で思い出すのは、卵(玉子)かけご飯である。

今では、在留邦人が4万人近いバンコクには、商品の仕入れと管理のしっかりした日本人向けスーパーや食料品店があるだろうが、筆者がいた十数年前は生で食べることのできる鶏卵は簡単に手に入らなかった。ただ、アルコールを飲んだ後に空腹感を覚えると、日本では簡単に口にすることができた卵かけご飯がむしょうに食べたくなったものだ。

単身赴任の身なので、卵かけご飯は我慢するものと思っていたが、あるとき、「よってけ」で常連客の一人が飲食を終えた後に、卵かけご飯をかき込んでいるのを偶然目にした。「何だ。ここで食べられるのか」と思って、店主に注文すると、「もう売り切れ!」とつれない返事。このときは「売り切れ」という店主の言葉を信じていたのだが、それからしばらくたち、「よってけ」で飲んでいると、「伊藤さんを一番新しい常連さんと認定したので、食べたいのなら生卵を出してあげるよ。いる?」と聞かれた。それで一部始終が分かったのである。

店のお品書きには卵かけご飯のメニューはないこと、バンコクでは貴重な生卵は生産と管理がしっかりしているシンガポールから輸入し、ある特別ルートを通じて1日に何個かを仕入れていること、限定品なので数少ない常連にしか提供していないことなどだ。それから、行くたびに、他の客に知られないように店の隅でこの好物をかき込んだのは言うまでもない。

卵はサルモネラ菌の中毒にかかるリスクがあるので、玉子焼きやオムレツなど加熱して食べるのが安全といわれる。しかし、日本では鶏卵の生産・管理がしっかりしていることもあって、生卵が好きな人は、それほど心配せずに朝食などで生卵を食べることができる。旅館の朝食では、焼き海苔とともに定番だ。すき焼きを食べるときには、生卵の世話になる人は多い。タイなど多くの外国ではこうはいかない。バンコクの駐在員の中には、すき焼を生卵につけて食べたため、食中毒になったという話をよく聞いた。生卵を食するのは日本の食文化の伝統であると同時に、食の安全のシンボルと言えば、少し大げさだろうか。

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