第157回 ベトナムで複式簿記を広める元国税庁長官 伊藤努

第157回 ベトナムで複式簿記を広める元国税庁長官
親日的な東南アジアの国ベトナムに魅せられてしまった日本人は多く、この欄でも俳優の杉良太郎さんや報道写真家の中村梧郎さんを紹介したが、意外な分野で同国への支援事業をしている方として、旧大蔵省OBで国税庁長官を務めた大武健一郎さん(65歳)がいる。税制の専門家である大武さんがベトナムの大学生ら若者に教えているのは、複式簿記である。
大武さんがなぜ、このような支援事業を行っているかというと、大きく分けて2つの理由がある。第1の理由は、まだベトナム戦争が激しかった大学生時代に、当時の南ベトナムから来ていた留学生と親しくなり、「自分が社会人になったら、同じアジア人としてベトナムのために何か手伝いたい」とずっと心の中で思っていたのだという。大蔵省(現財務省)では、ベトナムの難民問題を担当。国税庁長官のときは、ベトナムのニン元国家税務総局長と親しくなり、義兄弟の契りを交わした。次に、ベトナムでなぜ簿記普及の支援かということの理由は、当時のニン総局長から「所得税法をつくってほしい」と頼まれ、協力したが、まず簿記を知らないと所得税法も役に立たないと気づいたためだ。そこで、ベトナムの簿記が信頼できるものではなかったため、「欧州が生んだ最大の発明」(ドイツの詩人ゲーテの言葉)といわれる複式簿記の普及が必要だと考えたのだという。大武氏自身、大蔵省で法人税担当となったときに、法人税と知るには簿記を知る必要があると思い、都内にある簿記学校に通った。これが今の事業につながっているのだそうだ。

インタビューを受ける大武健一郎氏
ベトナムで簿記を教えるのになぜ日本語なのかという疑問がわくが、大武さんは「そもそも日本語を重視しようという思いがこの運動を始めたきっかけだ」と振り返る。さらに、労働争議や税金問題は英語でいくら言っても分からないし、英語ができる優秀なスタッフはほかの企業に引き抜かれてしまうため、日本企業同士なら仁義もあるので、引き抜きの心配もないと、日本語で教える理由を幾つか列挙した。
こうした大武さんの貢献が認められて、ベトナムで最難関とされる貿易大学に会計学部も創設され、簿記を講義するよう頼まれている。「将来的には、ベトナムの若者を日本の大学、それも医学部に入れたい」--。ベトナムびいきの大武さんの夢は膨らむ一方だ。