第116回 東南アジアの山下財宝騒ぎ 直井謙二

第116回 東南アジアの山下財宝騒ぎ
東南アジアの特派員なら1度や2度経験するのが、太平洋戦争でシンガポールなどを征服した山下奉文陸軍大将が戦争中に隠したとされる「山下財宝」発見騒ぎだ。筆者の場合、フィリピンで3回、タイで2回取材した。ニュースではなく騒ぎというのは、まず財宝が出てくることはないからだ。
1990年代の中ごろ、マニラ湾の海岸から金属の塊が出てきて、専門家の調査で金の塊であると判断され、フィリピン人の助手は、間違いなく「山下財宝」だと地元マスコミも報じているから取材に行こうとせかせる。財宝が大きな塊であることに疑問を持った。武器などの戦略物資を購入する際、大きな塊の金では支払いに不便だ。
助手には取材に行こうかどうか迷った時は必ず取材に行くように言ってきた手前、現場まで行ったが、巨大な金属の塊は金ではなく鉄で、船を係留するための錨だった。

タイでは2001年5月、ミャンマー国境に近いカンチャナブリ県で「山下財宝」騒ぎが起きた。地元出身の上院議員が2500トンの金塊を見つけたという。議員は長いこと、旧日本軍の財宝を探し続けていたが、「山下財宝」をついに発見したと得意顔だった。
当初は「またか」と軽く考えていたが、就任早々のタクシン首相(当時)が現場を訪れたので放っておくわけにもいかず、取材に出掛けた。
タイは当時、アジア通貨危機直後で経済が低迷していたが、地元議員は「財宝はすべて国庫に入れる。これでタイの経済は救われる」と述べ、有頂天だ。ところが肝心の金塊がなかなかお披露目されない。やがて財宝は金塊ではなく、1930年代にアメリカが発行した国債だと話がすり変わった。今度は現物があり、その価値は日本円で250億円だという。
冷めかかった興奮に再び火が付き、地元紙は「今でも国債は有効か」と書き立てた。ところが興奮はしばらくすると完全に冷めた、タイのアメリカ大使館が「アメリカは当時、国債を発行していない」という短いコメントを発表したからだ。金塊騒ぎは選挙を控えた地元議員の人気取り工作だった。
東南アジアに山下財宝の話がたびたび持ち上がる理由は幾つかあると思われるが、その1つは戦後の急速な日本の経済復興にあるのではないか。
湯水のごとくお金を使う日本人観光客を目の当たりにすれば、戦争直後、日本がすべてを失ったことを理解するのは難しい。「山下財宝」など戦場に隠した財産で日本が経済力を維持していると見ているような気がする。
写真1:山下奉文将軍が勾留されていたモンテンルパ刑務所
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