40年目迎えた東京国際映画祭 三木孝治郎

第1回 40年目迎えた東京国際映画祭
100以上の国・地域から応募、「アジア最大級」に成長
1985年、日本初の大規模な映画の祭典として始まった東京国際映画祭(以下 TIFF)。紆余曲折を経ながらも2024年(第37回)のコンペティション部門への応募は110カ国・地域に上るなど、「アジア最大級の国際映画祭」へと成長した。隔年開催で始まったが91年以降は毎年開かれ40年目を迎えた。
コロナ禍が吹き荒れた20~22年にはゲストの来日断念など大きな影響を受けたが、「何としても継続したいという強い気持ちにスポンサーからも賛同いただけた」(関係者)と関連イベントの中国映画週間と共に毎年開催を維持し今年は完全にコロナ禍から脱した。

2024年東京国際映画祭のポスター(@TIFF2024)
TIFFは発足当初、受け入れ側の日本の映画業界は経費の問題などもあって最初から順風満帆ではなかった。徐々に体制を整え、14年以降日本で唯一の「国際映画製作者連盟公認の映画祭」として釜山、香港、上海らアジアの国際映画祭と協力提携するなど、体制を築いてきた。
コンペ部門(審査委員長は香 港を代表する俳優トニー・レオン)応募作品は当初の40カ国・地域、519本から110カ国・地域、2,023本(第37回)と桁違いに増加。グランプリ作品はアジア13、欧州21、中東3、 米大陸5と欧州を中心に世界に拡大している。国・地域別ではフランスがダントツの8作品、以下中国の5、ドイツ、イスラエル、日本の3作品と続く。
会場も東京という街の移ろい映す
第1回は区内に映画館16館がある“映画の街”渋谷で開催、当時のファッションの中心109ビルに無声映画時代の映画王チャップリンが大きく描かれた。オープニングを飾ったのは日本の映画監督として初めて国際的な評価を受けた黒澤明監督の『乱』。当時「映画って本当にいいですね」という言葉で毎週お茶の間に映画を紹介していた評論家淀川長治氏が除幕式を行い作品140本を上映。パレードが行われ、大通りに面した屋外ステージで連日イベントが催されるなど、「街は映画祭一色になった」(TIFF事務局)という。
第17回以降は六本木、新宿などにエリアを拡大し第31回は日比谷も新たに会場に加わった。その後第37回までには、多くの映画館を擁し「歴史的に映画文化の根付いている日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区」(公式プログラム)に進出している。

屋外のゴジライベントには参加者が殺到した(@TIFF2024)
ウィメンズ部門を新設―第37回
第37回には新設のウィメンズ・エンパワーメント部門をリードした日本の娯楽作品「ドクターX」から、アメリカを襲った9.11テロ事件そして現在のタリバン政権につながるアフガニスタンの激動に翻弄される人々を描いた「シマの唄」やイジメ、ホラーなどを題材とした様々な作品が上映された。コンペ部門はほとんどがワールドまたはアジアプレミア(初上映)という豪華なラインナップだ。
同部門では中国3、台湾2、香港1作品がグランプリを狙ってエントリー、コンペ外だがシンガポールも日、英、インドネシアとの合作作品「オラン・イカン」で存在感を示すなど中国語圏の作品も気を吐いていた。

日本の娯楽作品「ドクターX」のポスター (@TIFF2024)

コンペティション参加作「娘の娘(女儿的女儿)」のポスター(@TIFF2024)