第418回 若王子さん誘拐事件から30年(上) 直井謙二

第418回 若王子さん誘拐事件から30年(上)
5月末、フィリピンの島を訪れていた日本人男性2名が殺害され、別の日本人が保険金殺人の容疑で起訴された。多くの日本人が訪れるフィリピンは治安が悪く捜査当局の力が弱いことなどから類似の事件が後を絶たない。
30年以上たった今も三井物産の故若王子マニラ支店長が誘拐された事件の謎は深い。若王子さんはマニラ郊外のカンルーバンにあるゴルフ場(写真)の近くのサトウキビ畑で帰り道に拉致された。名前を連呼しながら拘束し車で連れ去ったという。主犯格としてフィリピン人のマフィアが逮捕されその後の裁判も取材した。

犯人を目の当たりにしたが日本人駐在員の内情に詳しい人物だとは思えなかった。さらに犯人逮捕後にも若王子氏の肉声のテープや中指が欠けた手のひらの写しが入った脅迫文が日本の報道機関に送りつけられた。三井物産が狙われた理由についても謎だ。
事件はマルコス政権が倒れ、アキノ政権が樹立された直後に発生している。アキノ政権はマルコス政権の取り巻きを一掃、「マルベニコス」と呼ばれマルコス政権に近かった丸紅を排除し三井物産に重点を移していた。狙われた理由に挙げる説もあるがはっきりしない。日本に詳しい日本赤軍や共産ゲリラNPA新人民軍も加わったという説もある。事件解決後6年ほど後にNPAで内紛が起き事件を起こしたとして強硬派幹部が射殺されている。
解決に向けて日本政府やカトリック教会も捜査当局に協力した。特にカトリック系のラジオ放送「ラジオ・ベリタス」が流すニュースは独自情報が多かった。複雑に絡んだ事件を巡って複数の有力報道機関の誤報も起きた。
1987年2月末、解放の噂は流れていた。いち早く解放が報じられ筆者も焦ったが、結局解放は1か月以上あとだった。4月1日、若王子さんは元気で指が無事であることを示し笑顔で現れた。当時の有力報道機関の報道は誤報ではなかったのではないかと思っている。
長い間拉致されていた若王子さんの体力が回復し、支店長としてのイメージが戻るまでかくまわれた可能性がある。発表では若王子さんはマニラ市内の教会で解放されフィリピン特有の乗合バス、ジープニーに乗って日系ホテルにたどり着き助けを求めたとされているが、ジープニーには停留場がなく車体に書かれた行き先を頼りに次々に乗り換えなくてはならないため3年ほどマニラに駐在した筆者でもジープニーには乗れない。拉致も解放も多くの謎が残ったままだ。
写真:マニラ郊外のカンルーバンにあるゴルフ場
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