第256回 海燕の巣を巡るタイ南部の狂騒 直井謙二

第256回 海燕の巣を巡るタイ南部の狂騒
1997年のアジア通貨危機、アジア中が経済危機に直面した。特に通貨危機に火をつけたタイの経済の混乱は目を覆うような状況だった。不動産価格の暴落や銀行の倒産など暗いニュースで埋まる地元紙の中でひときわ目立つ景気のいい記事を見つけた。タイ南部の都市、ナコンシータマラートでは時ならぬ建築ブームに沸いているという記事だった。それも人が住むためのマンションではなく海燕用のものだ。
バンコク市内を見渡せば空き家だらけのアパートや建築を中断した高層ビルは鉄骨を無残にさらしたままだった。首都のバンコクが不景気のどん底の時に地方の都市が海燕用とはいえ建築ブームに沸いていることが信じられず、ナコンシータマラートに取材に出かけた。
丸一日車に揺られて到着し、さっそく市内を見て回ると真新しい店舗併用住宅は各店舗とも硬くシャッターを下ろしたままで人影がない。通貨危機の影響が南部の都市をも襲い不動産が売れていない証拠なのだ。いい加減な記事に騙され、バンコクからはるか800キロの地方都市に来てしまったと後悔の念が沸いてきたが、とりあえず車で市内を走ってみることにした。
郊外にほぼ完成した大きなマンションを見つけた。見た目は何の変哲もない普通のマンションで海燕用とも思えない。持ち主の許可を得て中に入る。薄暗くて広い部屋に電灯はなく、端に浅いプールがある。比較的大きな丸い窓にはガラスが入っていない。海燕は薄暗い海辺に近い洞窟などに巣を作るので部屋の湿度や明るさは洞窟に近くなるよう設計されているのだという。
ガラスのない窓は海燕の出入り口だ。海燕の巣は中華料理の珍味で香港などに向けて高額で売れる。そこで建築ブームが起きたというわけだ。寺も例外ではないという。寺を訪ねると古い本堂の脇に大きな本堂が建築中だった。住職の話によると仏像が安置されている古い本堂に何十匹もの海燕が巣をかけたという。(写真)ところが信者が毎日参拝に来るので海燕が驚いて逃げてしまう懸念があるのだ。幸い海燕が奉納してくれたお布施が貯まったので本堂を新築し、仏様には恐れ多いが引っ越してもらうことにしたのだそうだ。

夕方、市内の中心部に行くと何件かの家に無数の海燕が飛来していた。ほとんどの家主が海燕の巣で得た金でバンコクなどに家を建て、海燕を驚かせないよう引越ししたという。仏様が越すぐらいだから人間なら当然のことかもしれない。
一攫千金を狙っての海燕マンションブームが沸き起こるなか、高額を払い家を新築したが、どういうわけか海燕に嫌われ借金だけが残ってしまったという悲劇もあるそうだ
写真1:卵を抱く本堂の海燕
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