第258回 故小野田少尉の思い出 直井謙二

第258回 故小野田少尉の思い出
太平洋戦争後、旧日本軍の反抗を信じてフィリピンのルバング島のジャングルに29年間も潜伏し生還した元陸軍少尉の小野田寛郎さんが今年の1月死去した。91歳だった。
1974年冒険家の鈴木紀夫さんがジャングルで小野田さんと接触したことがきっかけで生還したが、小野田さんは上官の命令がないかぎり戦闘体制をとかないと述べるなど軍人魂を貫いた。その小野田さんにとっての恩人、鈴木さんが87年10月、ヒマラヤを探検中に遭難し亡くなった。翌88年1月、小野田さんはヒマラヤの遭難現場近くに行き、花を手向け鈴木さんの冥福を祈った。帰路、筆者が駐在していたバンコクに小野田さんが立ち寄った。
昭和天皇が体調を崩され、にわかに天皇崩御が取りざたされ始めたころだった。小野田さんとって天皇や国とはどういう存在だったか、ジャングルの中で29年間も戦ったのは何のためだったか聞いてみたくなった。当時、タイには大勢の未帰還兵が生存していた。戦後、日本に帰ることなく、赴いた戦地に留まった点では小野田さんに似ている。
しかし未帰還兵は日本が敗戦に追い込まれたことを知っていたし帰国の意思があれば日本に帰れたにもかかわらず現地に留まった人たちだ。
戦後、はやばやと日本を見捨てタイ人女性と結婚し、アユタヤの奥地でひっそりと暮らす元日本兵がいた。ふたりに太平洋戦争について対談してもらった。小野田さんをアユタヤまで車と小船で案内し、タイに留まった元日本兵に会わせた。元日本兵のタイ人の奥さんは高齢で体調が不安定な夫に気を使い、対談は短時間にするよう注文をつけた。
ふたりは川べりに張り出した縁側に座り込み静かに話し始めた。(写真)まったく違う行動を取ったふたりは、天皇や国のためよりも自分が生き残るために戦ったという思いが強かった点で一致した。

筆者のようにまったく戦争体験のないものには実感がわかなかったが、ふたりの会話を聴きながら、多くの旧日本兵がお国のためにと戦場に送り出されても、本音では自らが生き抜くことを第一の目標に戦闘を続けたのではないかとの印象を持った。
お礼の意味をこめて、小野田さんを日本人で賑わうバンコクのカラオケバーに案内した。
小野田さんを見つけた日本人客が歌をリクエストした。シャイな小野田さんは最初固辞していたが、周りの強い勧めに応じ、軍歌を3曲ほど熱唱し大喝采を浴びていた。それを見ていたカラオケ店のタイ人スタッフは、何が起きたかまるで理解ができずきょとんとしていた。
写真1:未帰還兵(右)と対談する故小野田さん(左)
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