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第250回 地元テレビ局の事故映像に見る死生観 直井謙二

第250回 地元テレビ局の事故映像に見る死生観 直井謙二

第250回 地元テレビ局の事故映像に見る死生観

テレビニュースの場合、映像があるかどうかが報道の勝負になることが珍しくない。大きな事件や事故が起きた時、新聞社や通信社ならいち早く事実関係を調査し本社に記事を送ることだが、テレビの海外支局の場合はニュースの内容もさることながら映像をどう入手するかが重大な問題になる。事件・事故の規模が大きすぎて手が回らない場合、ニュースの内容は本社に任せ、映像入手に全員が当たることも珍しくない。そのため、すぐそばで起きた事件や事故なのに放送が終わってからニュースの詳しい内容を東京の本社に問い合わせるという珍事も起きる。

映像取材力の弱い海外支局にとって地元の放送局や世界に展開する映像専門の通信社は頼りになる存在だ。自ら取材現場に出向く前に地元放送局や映像専門の通信社に連絡を取り、取材体制を聴きだし、映像の入手状況を確認する。何十台ものカメラを動員する地元放送局や映像専門の通信社の映像取材力は海外支局の比ではない。

現場などの映像はクライアントとして映像通信社から自動的に入手できるし、地元放送局からは買う事もできる。現場についたら、現場の映像はさておき日本人犠牲者が入院している病院や事故事件に巻き込まれた日本人のインタビューなど日本人に関連する取材を優先させる。地元放送局や映像通信社は事件・事故の現場などはいち早く取材するが、日本人に特化した取材はしないからだ。

ただ地元放送局の事件・事故現場の映像は使いにくいことも多い。なぜかというと、日本の放送局は遺体や惨たらしすぎる現場の映像は放送しないからだ。日本の取材クルーは犠牲者の遺品やカバーの掛かった遺体など事件・事故が想像できるよう間接的な映像取材を行う。一方、地元放送局から買い付けた現場の映像は遺体のアップばかりで日本で放送できる部分がほとんどないこともある。

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追い込まれている時は編集を東京のデスクに任せ、買い付けた映像の全編を衛星伝送することもあった。東京の編集デスクは放送できる映像が少ない事にいらだち、現場の国の後進性に言及しがちだ。だが遺体を直接撮影するのは国によって死生観が違うことに起因する場合もある。

例えばヒンズー教の影響を受けたインドや東南アジアでは輪廻転生を信じていることから死亡すれば遺体はただの物体でしかない。魂は遺体から抜け、来生に向かっていると信じている。物体となった遺体を保存する意識も薄く、墓を造らずに遺灰は川に流すか仏塔の下に散骨する。物体である遺体を放映しても問題はないという認識なのだ。


写真1:爆弾テロで破壊された旅客機

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