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第540回 たった一度のアジア以外の取材 直井謙二

第540回 たった一度のアジア以外の取材 直井謙二

第540回 たった一度のアジア以外の取材

今年の2月、愛媛県宇和島水産高校の「えひめ丸」がアメリカの原子力潜水艦に衝突されて沈没し生徒ら9人が亡くなった痛ましい事故から20年目を迎えた。15年以上に渡るアジア諸国の取材の中でたった一度のアジア以外の国での取材であったこともあって忘れられない取材だ。

アジア以外の国のニュースにはあまり注意を払っていないこともあってバンコク支局からハワイに入った当初から気分が沈んでいた。現場ではニューヨーク支局やアトランタ支局などから大勢のスタッフがすでに取材を始めていたが、アジアからの取材は筆者1人だけだった。初対面の同僚に戸惑ったが、親切に対応してくれた。

ハワイの真珠湾近くで行われたワドル船長らの責任を審査する審問委員会の取材、前途ある高校生の死という悲惨な事故だけに取材スタッフの顔も暗い。大柄のアメリカ人の同僚と共に真珠湾近くの取材拠点に向かった。真珠湾近くの広場には各社の大型のトレーラーが十数台とまっていた。

アジアの取材でも各支局から記者やカメラマンら30人近くのスタッフが集まる現場もあるが、前線デスク用に大型トレーラーを使った経験は初めてだった。
当然ながら審問委員会の内容は連日トップニュースになった。

朝、ホテルをバスで出発すると、その後は一日中トレーラーの中で取材計画を練り伝送スケジュールを打ち合わせするなど業務に追われ、昼食もトレーラーの中という状態だった。(写真)

2週間の滞在中ハワイらしさを感じることはほとんどなかった。ただトレーラーの外に出るとアジアの海のリゾート地に比べ空気が乾いていて爽やかなことだけは感じ取ることが出来た。

ニューヨーク支局から来たアメリカ人の同僚に「15年間、アジアしか取材してこなかったが、とうとうアメリカを取材できた」と話すと「ハワイを取材しただけでアメリカを取材したと言わないでくれと」と切り返された。

成田を経由してハワイに来たが、事故の犠牲者を思えば観光する気にもなれず、そのままバンコクへ戻ることにした。同時にバンコク支局で留守を守り働いているタイ人の同僚の顔が浮かんだ。帰りがけに土産物屋により慌ただしくアロハシャツを数枚買った。

支局に戻りタイ人の同僚に土産物に手渡すと意外な言葉が返ってきた。「支局長ありがとうございます。でもこのアロハシャツはタイ製ですね」。印象深い取材だったのでつい最近のことのように思い出すが、20年の歳月といえば亡くなった高校生の人生より長いことに気付いた。

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