1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 第538回 東南アジアの日本語新聞 直井謙二

記事・コラム一覧

第538回 東南アジアの日本語新聞 直井謙二

第538回 東南アジアの日本語新聞 直井謙二

第538回 東南アジアの日本語新聞

東南アジアでも在留邦人向けに日本語の新聞やミニコミ誌が発行されている。新聞社の規模は小さく数十人の日本人と現地の人のスタッフが取材や営業それに経理を担っている。筆者はこのうちマニラで発行されている「まにら新聞」、ジャカルタで発行されている「じゃかるた新聞」、バンコクで発行されている「バンコク週報」や「時事速報」などを愛読していた。

昨年8月9日「まにら新聞」の創業者だった野口裕哉現最高顧問の訃報が伝えられた。アジアを取材してきた記者を中心に哀悼の意が示された。野口氏は共同通信の記者を経て1992年「まにら新聞」の母体である「KYOUDOU NEWS DAILY」を創刊、最初は共同通信の記事を配信していたが、取材記者を雇用しフィリピンに長期滞在する邦人向けにフィリピン国内のニュースを掲載するようになった。

筆者は94年にマニラに赴任したが、赴任中は読む機会がなかった。後に故野口氏にお世話になる。90年代の末、マニラ支局が縮小され、本社からの日本人特派員が廃止されることになった。これにともない支局も「まにら新聞」の隣に引っ越し(写真)、「まにら新聞」から出向の形で日本人記者を派遣して頂いた。

「じゃかるた新聞」を立ち上げたのは元毎日新聞の故草野靖夫記者だ。草野氏は2012年に他界した。故草野氏はジャカルタ支局長、マニラ支局長それにバンコク支局長を歴任し、1986年のマルコス政権崩壊やその直後にインドネシアのバリで開かれたアセアン外相会議などの取材で一緒だった。会議の取材中、旧ソビエトのチェルノブイリ原発が爆発したこともあって当時のことは印象的に覚えている。

故草野氏は99年に「じゃかるた新聞」を立ち上げたが、設立に協力したのが故野口氏だっった。その影響だと思われるのが、両紙とも新聞名をひらがなで表記していることだ。新聞立ち上げの時でもアジア記者同士の友情があった。

「バンコク週報」の歴史は古い。「バンコク週報」のホームページによれば設立は1976年とある。ベトナム戦争終結の翌年だ。サイゴン陥落で大勢のビジネスマンが拠点をサイゴンからバンコクに移したころだ。80年代は日本のニュースと現地の生活関連の情報が多かった。

その後、インターネットの発達で日本のニュースは同時に読むことができるようになった。日本に特化したレストランやスーパーも増え、現地の生活面での不安も少なくなっている。現地の状況の変化は記事にも及び、日本のニュースと現地の生活関連の情報が中心だった内容から地元の経済やビジネス情報それに不動産情報などが紙面を占めるように変わってきた。

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回  
《アジアの今昔・未来 直井謙二》次回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》の記事一覧

 

タグ

全部見る