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金大中氏私邸売却廃却の波紋 直井謙二

金大中氏私邸売却廃却の波紋 直井謙二

金大中氏私邸売却廃却の波紋

2024年12月、韓国の尹大統領が非常戒厳を発令したことを発端に、現職大統領として初めて起訴される事態となり、韓国では与党「国民の力」と野党「共に民主党」との対立が深まり、政局は混乱を極めた。しかしその後、「共に民主党」の李在明大統領が反日姿勢を緩和したことなどから、政権は次第に安定を取り戻した。

一方、同年8月、金大中元韓国大統領が1961年から2009年に亡くなるまで生活と政治の拠点としてきたソウル・東橋洞の私邸を三男の金弘傑(キム・ホンゴル)氏が売却するとの情報が伝わり「共に民主党」の幹部を中心に懸念の声が上がった。

近代化と共に相続税が高騰し、キム・ホンゴル氏はやむなく売却することを決心したという。しかし、ホンゴル氏自身も所属する「共に民主党」の幹部の中には私邸を韓国民主化のシンボルとみなし「全財産を提供しても買い戻す」と発言する野党議員まで現れた。金大中元大統領が「共に民主党」のシンボルであることを改めて認識したが、かつての住居までが精神的な支柱になっていることには改めて驚かされた。

1985年、アメリカから帰国する金大中氏を取材した際、私邸は閑静な住宅街の一角にあったが、その後、「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の急速な経済発展に伴い、現在ではビルに囲まれた一軒家となっている。当時は床暖房にオンドルを使う家が多く、私邸の周りにも早朝からオンドル用の練炭を売る業者の姿があった。

自宅軟禁下に置かれていた金大中氏の取材は厳しかった。飛び交う催涙弾と安企部を中心とした警備当局のブロックを受けたが、はずみで金大中氏の私邸に雪崩れ込んでしまった。カメラマンは入れず、レポートも出来ず取材にならず途方に暮れていたところ、日本語で「そこの日本人の方、もう出られませんよ。食事でもどうですか」と声をかけてきた人物がいた。振り返るとそこに立っていたのは金大中氏本人だった。翌日にはカメラマンの入邸が許され、早速単独インタビューが実現した。(写真)

「共に民主党」が金大中氏の私邸を守ろうとする動きの背景には2000年に同氏が北朝鮮の平壌を訪れ、金正日総書記との南北首脳会談を初めて実現させた歴史的実績が影響している。その後、2018年には文在寅前大統領が板門店で金正恩委員長と会談したが、現在は南北関係が再び悪化している。

40年を経た今もなお、野党を中心に金大中元大統領に寄せる期待は揺るがない。朝鮮半島統一をリードした同氏の自宅は、今も「共に民主党」にとって変わることない理想を象徴する存在であるのかもしれない。


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