フィリピンの電力不足 直井謙二
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フィリピンの電力不足
3月末、フィリピンのマルコス大統領は、ホルムズ海峡の事実上の封鎖による燃料供給の混乱を受け、「国家エネルギー非常事態」を宣言する大統領令に署名した。
1986年、父親のマルコス政権がエドサ革命によって倒れ、国内が混乱した際には、コメが不足した。父親の政権による行政上の失敗を教訓に、今回の大統領令では、石油の買いだめを防ぎ、混乱を最小限に抑えることを目指している。しかし、すでに市民生活には影響が出ている。
鉄道網が脆弱なフィリピンでは、市民の足は小型の乗り合いバスやジープニー(写真)、タクシーなどだ。ガソリン価格の上昇で車を動かせず、生活に困窮した運転手たちが集まり、燃料税の撤廃を求めてストライキに入った。フィリピンには45日分の燃料備蓄しかなく、米国・イスラエルとイランの戦闘が続けば、事態はさらに悪化する可能性がある。

フィリピンはもともと地下資源が少なく、地場産業も育ちにくい。そのため海外で働く労働者が多く、なかでも船員は高収入を得られる職業として知られている。ホルムズ海峡周辺で動きが取れなくなっている船舶に乗る船員の中でも、フィリピン人は特に多い。かつて私が勤務していた支局の助手にも、英語が堪能な元船員がいた。
今回のエネルギー危機を見て、私は1990年代半ばにフィリピンで経験した「BROWN OUT」を思い出した。
これは、事故や設備故障による突然の停電ではなく、燃料不足によって行われた計画停電だった。この時も、フィリピンのエネルギー備蓄の脆弱さが露呈した。他のアジア諸国では大きな問題が起きていなかっただけに、フィリピンのエネルギー事情の厳しさが際立っていた。電力供給網そのものに問題があるわけではないため、停電はおよそ10時間程度で復旧する。ただ、停電する時間帯は地域によって異なり、事前に停電や復旧の時間が知らされることはなかった。
当時、私は窓の開かないマンションの17階に住んでいた。一度停電すると、部屋はたちまち蒸し風呂のようになり、冷蔵庫の中の食料品もすべて駄目になってしまう。停電が始まって1か月ほどたったころ、マンションに大型の発電機が設置された。それでも部屋数が多く、発電容量が足りないため、使えるのは小さな照明と扇風機程度だった。暑くてたまらず、外へ出ると、多くのレストランも発電機を設置し、「NO BROWN OUT」の横断幕を掲げていた。発電機でクーラーを動かし、涼しい店内を売り物にして客を呼び込む。停電が続く中では、これ以上ないほど効果的な広告だった。
そして、最も神経を使ったのが、テレビの生放送でのスタジオとの掛け合いだった。東京のスタジオとフィリピンの支局を衛星中継で結んでの生放送である。放送中に「BROWN OUT」になれば、そのまま放送事故になってしまう。そのため、通常の電源は使えない。放送前にエンジンをかけ、自前の発電機を稼働させる。生放送での掛け合いは、それだけでも緊張する。そこに、放送終了まで発電機が故障しないかという不安が加わる。画面の向こうの東京ではいつも通りに番組が進んでいても、こちらでは最後まで電源が持つかどうかを気にしながら放送していた。
あの時も、フィリピンのエネルギー供給の脆弱さを痛感したが、今回のエネルギー不足は、あの時よりも深刻だ。



