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国家が対立しても、私たちは友人でいられるか 安江伸夫

国家が対立しても、私たちは友人でいられるか 安江伸夫

国家が対立しても、私たちは友人でいられるか

 ■抗日を“体験”する子どもたち

子どもが笑顔で日本軍の陣地に突撃していた。それは、山東省臨沂市にある抗日戦争を“体験”するテーマパークの映像だった。臨沂は日中戦争当時、中国共産党の根拠地の一つだった。共同通信記者が取材し、77日の盧溝橋事件の日に記事とともに配信した映像を、私はテレビで見た。 

来場客は、抗日戦争映画のストーリーに没入し、共産党軍の兵士になりきる。日本軍が立てこもる陣地に突撃し、空には飛行機の轟音が響き、川面には爆撃を模した水柱が上がる。映像には、笑顔で楽しむ子どもと母親らしき観客の姿もあった。「楽しかった」「また来たい」といった声も聞こえた。 

私が映像に見たのは、日本に対する怒りそのものというより、国家の世論誘導の中で、戦争を知らない世代の日常に、抗日の感覚が自然に溶け込んでいるという光景だった。

 ■車内を凍らせた戦争の記憶

中国政府も、抗日・反日を過度に娯楽化したイベントや映画については、程度が低いとして戒めている。その一方で、愛国主義教育には力が入れられてきた。共産党政権にとって抗日運動から抗日戦争への流れは、統治を支える出発点になった経緯がある。それだけに、いったん抗日を掲げた行事や世論が広がると、当局も簡単には抑え込めない。国家が利用してきた愛国感情には、逆に国家を縛ることがあるのだ。

日本人の目には、そうした敵意が、現代を生きる日本人を傷つけることなど、まるで意識していないように映る。だが映像の中で楽しんでいる彼らの心の中は単純ではないはずだ。政府の期待にそって振る舞わねばという表向きの部分もあれば、宣伝と教育を通じて、抗日・反日のナラティブが、彼らの日常生活の底に沈みこんでいる部分もあって、日本人の反中・嫌中とは、容易に比較できない側面があるのではないだろうか。

こうした場面を見るとき、私は中国社会における「本音」と「表向き」の複雑な関係を思わずにいられない。中国では、言論統制が一時的に緩んだように見えたとき、自由闊達に発言した人々が後で弾圧されるということが、歴史上繰り返されてきた。政府に逆らったと認定されれば、後に報復に遭う。

天安門事件では、広場でハンガーストライキを行った学生たちが事件後に処分され、公的機関への就職の道が断たれた。それを当時、北京に留学中だった私は見ていたのだ。

私が中国で出会った人々の反応や表情を思い出した。

2018年、私は1980年代の北京留学時代の友人を、出身地の広東省広州市に訪ねた。彼女は50代後半になっていた。夜、彼女の両親と夫を交えた会食に加わった。その帰り、一家の乗ったバンで宿泊先まで送ってもらった。

車は大きな鉄橋、「海珠橋」のそばを通った。夜景に浮かび上がったその橋を見て、誰かが「とてもきれいだ」と言った。すると80代の父親が、昔話を始めた。

「私が子どものころにできた橋だ。中央部が開閉して、その下を船が通ったんだ」

車内で皆が盛り上がった。だが父親が続けて、「日本軍が開閉装置を破壊して、今もそのままだ」と寂しそうに語った瞬間、空気が変わった。車内に日本人の私がいることに、皆が気付いたのだろう。会話は凍り付いた。

海珠橋の開閉装置を破壊したのは日本軍ではなく、国民党だったという説もある。しかしその父親は日本軍による破壊だと信じていた。私がいなければ、話はそのまま続いていただろう。だが一家は、何事もなかったかのように別の話題へ移った。

1980年代の私の留学時代は、中国人の友人たちは、私が日本人であり、ジャーナリストであることをほとんど意識せず、自然体で接してくれた。当時は、日中戦争を実際に経験した親たちがまだ健在だった時代でもある。

春節休みを利用して、雲南省昆明市の実家に帰っていた、私と同年代の大学院生の女性を訪ねたことがある。一家は両親、祖母、女性とその弟の5人暮らしだった。夜、自家製の過橋米線を囲んで、彼らは私を温かく迎えてくれた。過橋米線は、煮えたぎったスープに、食べる直前に具と米の麵を入れる雲南省の名物料理である。

その席で祖母が私に向かって静かに語り始めた。彼女はもともと南京市に住んでいたが、日本軍が攻めてきたため、昆明市まで逃げてきたというのだ。「日本人が何をしたか、あなたは知っているか」「日本人がやってくるのを聞いて私たちは逃げ惑ったんだ」「きょう、あなたを我が家に迎えてよいのかどうか、一家で話し合ったんだよ」。しばらくの間、重苦しい沈黙が流れた。孫娘である大学院生は、そこまで深く抗日戦争の記憶を意識していなかった。だからこそ、私に「実家に遊びに来い」と無邪気に誘ったのだろう。

やはり留学時代に、別の友人らと北京の街頭で話していた時、会話が反日映画の話題にそれたことがあった。彼らは途中で日本人の私の存在に気付き、「すまない。お前は友人だから」と繰り返した。そして、やはり別の話題になった。

戦争中に経験した不幸な出来事を、人は積極的には話したがらない。だが、何かのきっかけがあれば、それは静かに表面に浮かび上がる。中国社会には、そうした記憶の土壌が確かにあった。

 ■国家が掘り起こした戦争

日本は戦後、日本を占領した米国との間で急速に和解を進めた。一方、中国大陸との交流は、1972年の中華人民共和国との国交正常化まで長く途絶えていた。戦争の記憶が、個人の生活史の中に沈殿したまま残り続けた面がある。

中国政府は冷戦崩壊後、共産主義イデオロギーの求心力が衰える過程で、その記憶を掘り起こし、国民統合のナショナリズムとして用いるようになった。愛国主義教育は、過去の傷を振り返り、癒し、未来へ向かって進むためというよりも、中国全体の統治の正統性を支え、国民を動員し、中国を強大化させるために制度化されたのである。

その後、中国の出張先や旅行先で出会った庶民から、日本批判を聞かされることが増えた。地方都市のタクシー運転手、長距離列車で同席した見知らぬ乗客。彼らはしばしば、戦争や歴史問題、日本の政治家は右傾化しているのではないかという話を持ち出した。

しかし、1時間も話していると、会話は途中から方向が変わることも多かった。日本の経済発展、改革開放期に中国が日本から受けた恩恵、日本製品への信頼。話せば、中国社会も、そして一人の相手の中にある感情さえ、一枚岩でないことが分かる。怒りと憧れ、警戒と親しみが同居している。だからこそ、中国政府の主導する宣伝と教育に、私は危うさを感じるのだ。複雑で多様な感情や考えの中から、反日・抗日だけを選び取り、増幅させるからだ。

 ■日本メディアへの誤解

日本側の中国に対する警戒には、中国の軍事的膨張や威圧的な対外姿勢という根拠がある。だが中国側から見れば、日本人の対中感情もまた、日本政府の対中牽制策や安全保障政策に誘導され、一枚岩になっているように映るのだろう。そして、その空気を変えられるのはメディアだと考えているようだ。中国の官製メディアが政府の意向に従うのと同じように、日本のメディアも中国に友好的な報道をすればよいではないか、という発想である。

小泉純一郎政権時代の2006年、当時の崔天凱アジア局長は日中政府間協議で、日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり報道しており、日本政府が指導すべきだと発言した。同様の主張は、今日でも中国外務省の会見などで繰り返されている。

しかし、日本のメディアは、政府の指導で報道しているわけではない。庶民の声や社会現象をすくい上げ、事実として報じている。政府が報道を指導すれば、それこそ事実をゆがめることになる。

日本では、事実がメディアを通じて認知され、そこに政府の発信も一定の影響力を及ぼす。産業としてのメディアが、アクセス数を重視し、内容が偏っていく側面もないわけではない。しかし同時に、さまざまなルートを通じて多様な情報が広がり、開かれた言論空間で議論される。その結果、一定の幅を持った世論が形成され、政治に反映されていく。

中国の言論空間は、それとは異なる。政府の正統性と国家の安定を第一に置き、政府が世論を誘導する。この違いを双方が認識しない限り、相手の社会で何が起きているのかを正確に理解することはできない。

 ■友人だよ、当然じゃないか

 現在、日本は中国の対外姿勢や軍事動向を「深刻な懸念事項」とし、「最大の戦略的な挑戦」と位置付けている。外交青書や防衛白書におけるこれらの表現は、年々厳しさを増している。一方、中国側は、日本の安全保障政策を、「軍事化を正当化する新型軍国主義だ(環球時報)」と批判し、「中国の発展を妨害することは断じて受け入れない(王毅)」と反発する。

外交や防衛の戦略、そして社会の対外認識は、相手国の言動や政策、それをどう認知するかによって形づくられる。日本が警戒すれば中国は反発し、中国が威圧的に振る舞えば日本の警戒はさらに強まる。政治体制の異なる国同士が、相手の行動を最悪の意図に基づいて解釈し合う。しかもその不信には単なる無理解では片づけられない現実の根拠もある。この悪循環は、世界レベルで広がっている。

私には、留学時代の友人や、特派員時代に仕事を通じて親しくなった中国人の知人がいる。今でも交流がある。SNSのウィーチャットでつながっている。だがコロナ禍やスパイ容疑の拘束事件などもあって、東京や北京で直接会う機会は途絶えてしまった。

そんな中国人の一人に、ジャーナリストの友人がいる。202511月の高市早苗総理大臣による台湾をめぐる国会答弁の後、「日本とはまた戦争だ」というタイトルの論考を投稿した。古代までさかのぼって、日中が相手を見下し、見下される歴史を振り返り、現在の対立を俯瞰的に論じ、「年月が過ぎるのを待つしかないのだ」と結論付けていた。

その投稿を見つけた私は、この友人に短いメッセージを送った。

「国家が対立しても俺たちは友人だろう?」

返事がすぐに返ってきた。

「友人だよ。当然じゃないか」

このやり取りに、私は日中関係の難しさと、希望の双方を見た。

国家は対立する。国際政治で超大国がせめぎ合えば、そこに連なる国々も振り回される。歴史や愛国心は、社会をまとめる政治の道具として利用され、世論は相手への不信を深める。メディアもまた、その政治や世論に引きずられ、相手国から疑われる。

海洋権益や台湾問題をめぐる威圧。邦人拘束など、中国の動きを日本は警戒する。だが、対立が衝突にならないよう、今、必要とされるのは、一人一人の問題意識と公正な認識である。相手国を一つの塊として憎むのではなく、その中にいる人間の顔を思い浮かべる想像力である。

国家が対立を深める時代にあっても、「友人だよ。当然じゃないか」と返してくれる友がいる。その細い回路を絶やさないことからしか、和解は始まらない。和解とは迎合ではない。譲るべきではない一線を守りながら、なお相手の中にいる一人一人の顔を見失わないことである。

 

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