第508回 四半世紀ぶりに再会したミャンマーのストリンガー 直井謙二

第508回 四半世紀ぶりに再会したミャンマーのストリンガー
後期高齢者になり、後輩も定年退職を迎える年齢になった。アジアで一緒に働いていた現地のストリンガーも例外ではない。10年近く一緒に働いていたタイの女性ストリンガーが退職し、カメラマンも間もなく定年を迎える。ストリンガーの雇用主は本社ではなく支局長になる。
最近はアジアでも転職する人が増えたが、筆者の現役時代は一度入社すれば定年まで働くストリンガーも珍しくなかった。雇用主である支局長は任期が終わると帰国し、次の支局長が雇用主になるという具合だ。
数か月前、突然本社から連絡があった。25年ほど前、バンク支局長だった筆者が雇ったミャンマーのストリンガーJが間もなく定年を迎えるので本社に招待されたのだった。Jの歓迎会を開くことになったが、是非初代の雇用主に会いたいと言っているので歓迎会に参加してほしいということだった。25年も前のことを憶えていてくれたJに感謝するとともに時の流れの速さが身に染みた。残念なことに予定が入っていたので個別に本社近くでJに会うことにした。

Jは元々ヤンゴンでフリーのドライバーとして働いていたことはすでに書いた。(小欄第362回 記者に変身したミャンマーの運転手)本社の近くで待っていると、入社したばかりと思われる若い社員がJを案内して連れてきた。その若い社員に年を尋ねると24歳だという。筆者を半世紀年上の大先輩だと笑った。そして、将来は特派員を目指したいとも語った。若い社員は仕事があるからと本社に戻った。
Jと近くの喫茶店に落ち着いた。一時、緩んだ軍政の取り締まりが再び厳しくなったこと、取材テープを差し押さえようとする軍人に追われ必死に逃げたがつかまってテープを取り上げられたこと。デモを禁止したことに反発した学生の集会を軍が取り囲み取材班も危ない状況に追い込まれたこと。(小欄第454回 危機を救ってくれたミャンマー新大使)思い出話で花に咲いた。
今ではJはストリンガー仲間のリーダー格になっていると風の便りに聞いた。Jはミャンマー人だがタイ語も堪能だった。国際社会から経済制裁を受けていた当時のミャンマーでは仕事がなかったため、Jは隣国タイで建築労働者として働きタイ語を憶えたという。バンコク支局の配下にあるJはタイ人スタッフとの意思疎通もスムーズだ。Jからミャンマー製の生地をお土産にもらい筆者は東京のお菓子を手渡した。Jはタイばかりでなくミャンマーにもゴルフしに来てほしいと言い残し雑踏に消えて行った。
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