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郭徳綱が二回目の東京公演にやってくる(上) 戸張東夫

郭徳綱が二回目の東京公演にやってくる(上) 戸張東夫

<郭徳綱が二回目の東京公演にやってくる>

中国でいま最も人気のあるお笑い芸人郭徳綱(クオトォカン)が再びわが国にやってくる。二回目の東京公演のためだ。郭にはインターネットを通じたファンが多いというが、東京でもたくさんのファンが待ち受けている。昨年(2017年)は日中国交正常化45周年、今年(2018年)は日中平和友好条約締結40周年に当たるが、日中関係は好転の方向に進んでいる。中国の李克強首相が今年5月8日から11日にかけて7年ぶりに来日して9日安倍首相と首脳会談を実現し、安倍さんは「日中は今日をもって協調の時代に入った」と宣言した。まことにいいタイミングの郭の来日である。

いいチャンスだからわが国からも爆笑落語の柳家権太郎とか、夫婦でしゃべくり漫才の宮川大助・花子らを送り込んでお笑いの日中交流など仕掛けたらどうか。お笑いを通じて両国の民衆レベルでの相互理解が深まれば、日中両国が国家や政府間で多少の矛盾や摩擦を生じたとしても、反日デモや反中国キャンペーンが起こって両国の国を挙げての対立に発展しないで済むようになるのではあるまいか。お笑いファンの筆者はそんな能天気な夢想にふけったりしている。

わが国だけでなく中国もここ数年お笑いブームが続いている。お笑いの日中交流を実現するにはいまが絶好のチャンスだと愚考するのだが、いかがなものであろう。


 

<中国相声=落語+漫談+漫才?>

わが国の笑いの話芸の代表格が落語、漫才だとすると、中国のばあいは誰が見ても相声ということになるであろう。相声を知らない中国人はおそらく一人もいまい。落語によく似たお笑いの伝統話芸である。相声は演じるものの数によって三つに分けられる。一人だと単口(タンコウ)相声、二人だと対口(トゥイコウ)相声、三人かそれ以上は群口(チュンコウ)相声になる。いずれのばあいも演者は舞台の上で立ったまま口演する。だから見た目でいうと単口相声は演者は坐ってはいないが落語か漫談、対口相声は漫才、群口相声はコントということになるかもしれない。となると相声は落語、漫談、漫才、コントを総合した話芸というべきかも知れない。しかしいずれも始めと終わりのある物語を語っており、どの相声を聴いても落語の味わいなのである。

わが国では「相声」を「中国漫才」と訳すことが多い。正確さを欠く訳だと思う。相声の中でいちばんポピュラーなのが対口相声であること。話の内容はともかく外見は漫才によく似ている。ここから中国漫才という訳語にしたのであろう。そういえば郭徳綱らの二回目の東京公演も対口相声だという。
 
相声の特徴をいささか説明しておこう。

第一にストーリー性が強いことである。これら三つのことなる相声のどれを取り上げても始めと終わりのある一つの物語になっていることが多い。たとえば単口相声は落語か漫談のようだと述べたが、どれを聴いても綾小路きみまろや「なんでかフラメンコ」の堺すすむのような前後の脈絡を欠いたジョークやシャレや言葉あそびで構成されたものとは全く違う。

次に同一の台本(物語)を複数の芸人が語ること。したがって同じタイトルでほぼ同じ物語でも演者によっていろいろな語り方や構成を楽しむことができるのである。これは古典落語にも共通する特徴である。たとえば古典落語に「死神」という有名な話があるが、演者によって重点の置き方や終わり方が違って面白い。物語の中で死神を退散させるまじないの文句さえ噺家によって違うのである。

読んでも面白い、という点も特徴の一つにあげてよかろう。近く来日する郭徳綱を始め中国のテレビやラジオで活躍している相声芸人であれば自分の名前を冠した作品集の一冊や二冊を出版している。これもまたわが国の古典落語によく似ている。名人クラスの落語家の全集や選集がいく種類も刊行されていることはよく知られている。もう一つ長い年月にわたって語り継ぎ、磨き上げた結果、墊話(まくら)、正活(テーマ)、底(おち)など、ある種の規範のようなものが形成されていることも指摘しておきたい。



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