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第566回 たった一度の仲人役 直井謙二

第566回 たった一度の仲人役 直井謙二

第566回 たった一度の仲人役

恋愛結婚が当たり前になり、新型コロナウィルスの影響もあって結婚式を挙げないカップルが6割という中で「仲人」という言葉が死語になりつつある。筆者も仲人の労を取ったのはたった一度だけだ。それも日本ではなくフィリピンでのことだ。

マニラ支局に赴任していた時、若いフィリピン人カメラマンから近く結婚するということを伝えられた。お祝いをどうするか思案しているとカメラマンは筆者にゴッドファーザー役をしてほしいと言い出した。

結婚式はマニラにあるスペイン統治時代に建てられた由緒あるカトリック教会。そこで日本の仲人に当たるゴッドファーザー役をお願いしたいというのである。

優秀でまじめなカメラマンだけに要望に応えたいがまるで自信がない。もともと仏教徒であるし、取材を除けばキリスト教会に行ったこともない。ましてやゴッドファーザーのしきたりや儀式の知識がないので無理だと断った。しかし恋人にも伝え、家族にも了解を得ているとカメラマンは食い下がる。大事な儀式に齟齬があったら大変だと抵抗したが、式では新郎新婦のそばに立っているだけで別段難しいことはないと押し切られてしまった。

フィリピンには単身赴任していたのだが、ゴッドマザー役も必要だとしたら、日本から妻を呼ぶのは無理だと切り返すと、すでにマニラ支局が契約しているH顧問弁護士に依頼済みだという。H顧問弁護士は、美人なうえに仕事ぶりは新聞に掲載されるほど敏腕で筆者も何度か救われた弁護士だ。外堀はすでに埋められていた。

引き受けることが決まるとカメラマンは結婚式にはフィリピンの正装のバロンタガログを着用してもらいたいという。バナナやパイナップルの繊維でできた薄い生地の礼服だ。帰国すれば着る機会もないバロンタガログが6,000ペソ、当時のレートで3万円もした。

結婚式の当日、教会には100人ほどの家族や参加者が集まっていた。式の開始を待っているとH弁護士が飛んできてゴッドファーザーがそんなところでボーっとしていては式が始まらないという。まずは、皆さんを教会の中に先導する時間ですと筆者の腕を取り引っ張るように歩き出した。(写真)

教会の中の一段高い演台に新郎新婦と並び、式が始まった。神父がタガログ語で何かしゃべっているが皆目わからないで困っていると、いきなりH弁護士が筆者の袖を引っ張り、ひざまずけという。神父の問いかけにこたえたり、サインしたりとただ立っていればいいという事前の話と全く違ったのだった。新婦と並ぶ新郎の顔を見るとうれしそうな表情で平然としている。疲れ切ったが忘れられないたった一度の仲人役だった。

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