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江蘇省北部で見つかった「首に鎖の女性(鉄鏈女)」は人身売買事件の被害者か(下) 日暮高則

江蘇省北部で見つかった「首に鎖の女性(鉄鏈女)」は人身売買事件の被害者か(下) 日暮高則

江蘇省北部で見つかった「首に鎖の女性(鉄鏈女)」は人身売買事件の被害者か(下)

 

河北省衛星テレビ局の解説番組によれば、今回の鉄鏈女問題の根は深いという。同番組は「婦女の誘拐、人身売買は中国の現在社会の中で決してまれな事象ではない。特に山間僻地では、この種の誘拐事件は恒常的にあった」と暴露している。さらに驚くことに、1990年代の初めころから2000年ぐらいまで、江蘇省北部の泗陽県来安郷姜集村には「婦女の売買市場」が存在し、地区に住む210人がこの「市場」に関わっていたという。この売買市場を中心的に運営していたのは鄭洪先(あるいは鄭紅先)という男で、自分の3人の息子たち、鄭明月、鄭明亮、鄭明光を雲南、貴州、四川の3省に行かせ、若い女性を拉致させていた。これら3省には比較的経済環境が恵まれない少数民族地区があり、女性の”調達“には苦労はなかったと言われる。

3人の息子は、「沿岸部の都会では、アパレルや煙草工場などの就職先がある」とか「高給の待遇で保母さんを探している」などの触れ込みで声をかけると、たやすく女性は乗ってきたという。この結果、およそ10年間に16歳から22歳までの560人の女性が江蘇省にやってきた。鄭洪先らは、泗陽県来安郷姜集村に集めたこれら女性を同省内ばかりでなく、安徽、山東、湖南省や遠く新疆ウイグル自治区の2次仲介業者に3000-6000元の”紹介料“で引き渡していたという。彼女らは実際に工場労働者として働くこともあったが、主には結婚願望の農村男性にあてがわれたり、強制売春の場にも送られたりしていたようだ。

1999年、国務院公安部の指令の下、江蘇、貴州、雲南の3省公安庁と江蘇省北部の地方政府公安局がこの人身売買事件の大々的な摘発を行い、仲介業者を一斉逮捕。2000年には宿迁市人民法院が鄭明月ら6人に死刑を宣告、12人には無期から懲役6年までの有期刑を言い渡した。今回の事件で明るみに出た董志民の妻も、父親が鄭洪先のグループから金銭を支払って引き渡された女性である可能性が高い。そうであれば、過去に摘発された人身売買事件の”残渣“が20年も経って再び浮かび上がったという構図である。女性の首に鎖が巻かれていたというのは、董家が買った“もの”であるから、逃がさないという意味があるのかも知れない。この妻が精神異常を来たしているとしたら、長い間の拘束生活が原因とも考えられる。

江蘇省の鉄鏈女事件への関心が冷めやらないうち、陝西省でも同様事件が明るみに出た。3月1日、「陝西省佳県にも江蘇豊県の鉄鏈女に匹敵する悲惨な鉄籠女がいる」との情報がSNS上で流れ、佳県を管轄する楡林市公安局が調査に乗り出した。「私の名前は李奇峰」というSNSアカウント名の者から、「私の妻小雨はどこから来たか分からない女性だが、2009年に同居して一男一女を儲けた。娘は3万元で隣村の人に売り渡した。小雨は何度も逃走しようとしたので、彼が外出するときは鉄籠に入れて逃げないようした」との文章が発せられた。楡林市公安局が調べに乗り出し、「李奇峰」の自宅には実際に鉄籠があり、小雨が発見された時にはすでに精神異常を来たしていたという。

このサイトを見た人が「この女性は2009年に青海省で行方不明になった王国紅さんではないか」とSNS上で言い始めた。というのは、当時22歳、青海民族学院で会計学を学ぶ学生だった王さんはこの年の9月27日、キャンパス内でぷっつり消息を絶ってしまったからだ、同日午後2時前、彼女は学校の寄宿舎で髪を洗い終わったあと直ぐに、携帯電話は身分証明書などを持たず、たった一冊の本だけを持って学院の東校舎に向かったが、その後行方が分からなくなった。家族は”神隠し“に遭った娘を懸命に捜したが、捜し出せず、母親は2019年に辛い気持ちを引きずったまま脳梗塞で病死したという。父親と実弟が母の思いを引き継いで捜索活動を続けている。

筆者は2014年、今から8年前に内モンゴル自治区に行き、オルドス市郊外で農家を取材したことがあった。豚小屋の餌やりをしていた老婆に話かけると、言葉が分かりにくい。四苦八苦していると、そこに家の中から中年女性が出てきたので、話し相手を彼女に切り替えた。彼女は「貴州省から嫁いで来た」というので驚いた。南方の貴州から北の果ての内モンゴルまで直線でも1600‐1700キロある。いかにも遠く、恐らく農家同士の婚姻なら“専門業者”が介入したとしか考えられないが、どういうルートで来たのかとはさすがに聞きづらかった。彼女は「故郷にほとんど帰っていない」という。農家は貧しいそうなので、実際に貴州省へ頻繁に戻るのは難しいのであろう。この経験から、中国国内では人身売買まではいかなくとも、遠距離の婚姻を仲介する“業者”が多数存在していることを実感した。

今回の鉄鏈女事件を受けて、女性権利の保護団体である「中国婦女連合会」の機関誌は2月22日、社会科学院法学研究所の祁建建副研究員の文章を掲載した。同氏は「婦女の誘拐はグローバルな問題だ」と指摘し、独り中国に特化した犯罪でないことを強調した。確かに、米国などでも女性の拉致、長期監禁の事件が結構起きている。だが、他人事のように言う婦女連機関誌の文章に対し、読者からは「恥を知れ」「各国はこうした犯罪者を重罰に処している。中国はどうなんだ」などという批判が相次いだ。中国当局は、今回の事件を前近代的な中国農村の過去の残渣という形で葬ろうとしているが、ネットユーザーの多くはまだ、現在の農村、農家の姿であると認識しているようだ。河北省衛星テレビ局の解説番組によれば、今回の鉄鏈女問題の根は深いという。同番組は「婦女の誘拐、人身売買は中国の現在社会の中で決してまれな事象ではない。特に山間僻地では、この種の誘拐事件は恒常的にあった」と暴露している。さらに驚くことに、1990年代の初めころから2000年ぐらいまで、江蘇省北部の泗陽県来安郷姜集村には「婦女の売買市場」が存在し、地区に住む210人がこの「市場」に関わっていたという。この売買市場を中心的に運営していたのは鄭洪先(あるいは鄭紅先)という男で、自分の3人の息子たち、鄭明月、鄭明亮、鄭明光を雲南、貴州、四川の3省に行かせ、若い女性を拉致させていた。これら3省には比較的経済環境が恵まれない少数民族地区があり、女性の”調達“には苦労はなかったと言われる。

3人の息子は、「沿岸部の都会では、アパレルや煙草工場などの就職先がある」とか「高給の待遇で保母さんを探している」などの触れ込みで声をかけると、たやすく女性は乗ってきたという。この結果、およそ10年間に16歳から22歳までの560人の女性が江蘇省にやってきた。鄭洪先らは、泗陽県来安郷姜集村に集めたこれら女性を同省内ばかりでなく、安徽、山東、湖南省や遠く新疆ウイグル自治区の2次仲介業者に3000-6000元の”紹介料“で引き渡していたという。彼女らは実際に工場労働者として働くこともあったが、主には結婚願望の農村男性にあてがわれたり、強制売春の場にも送られたりしていたようだ。

1999年、国務院公安部の指令の下、江蘇、貴州、雲南の3省公安庁と江蘇省北部の地方政府公安局がこの人身売買事件の大々的な摘発を行い、仲介業者を一斉逮捕。2000年には宿迁市人民法院が鄭明月ら6人に死刑を宣告、12人には無期から懲役6年までの有期刑を言い渡した。今回の事件で明るみに出た董志民の妻も、父親が鄭洪先のグループから金銭を支払って引き渡された女性である可能性が高い。そうであれば、過去に摘発された人身売買事件の”残渣“が20年も経って再び浮かび上がったという構図である。女性の首に鎖が巻かれていたというのは、董家が買った“もの”であるから、逃がさないという意味があるのかも知れない。この妻が精神異常を来たしているとしたら、長い間の拘束生活が原因とも考えられる。

江蘇省の鉄鏈女事件への関心が冷めやらないうち、陝西省でも同様事件が明るみに出た。3月1日、「陝西省佳県にも江蘇豊県の鉄鏈女に匹敵する悲惨な鉄籠女がいる」との情報がSNS上で流れ、佳県を管轄する楡林市公安局が調査に乗り出した。「私の名前は李奇峰」というSNSアカウント名の者から、「私の妻小雨はどこから来たか分からない女性だが、2009年に同居して一男一女を儲けた。娘は3万元で隣村の人に売り渡した。小雨は何度も逃走しようとしたので、彼が外出するときは鉄籠に入れて逃げないようした」との文章が発せられた。楡林市公安局が調べに乗り出し、「李奇峰」の自宅には実際に鉄籠があり、小雨が発見された時にはすでに精神異常を来たしていたという。

このサイトを見た人が「この女性は2009年に青海省で行方不明になった王国紅さんではないか」とSNS上で言い始めた。というのは、当時22歳、青海民族学院で会計学を学ぶ学生だった王さんはこの年の9月27日、キャンパス内でぷっつり消息を絶ってしまったからだ、同日午後2時前、彼女は学校の寄宿舎で髪を洗い終わったあと直ぐに、携帯電話は身分証明書などを持たず、たった一冊の本だけを持って学院の東校舎に向かったが、その後行方が分からなくなった。家族は”神隠し“に遭った娘を懸命に捜したが、捜し出せず、母親は2019年に辛い気持ちを引きずったまま脳梗塞で病死したという。父親と実弟が母の思いを引き継いで捜索活動を続けている。

筆者は2014年、今から8年前に内モンゴル自治区に行き、オルドス市郊外で農家を取材したことがあった。豚小屋の餌やりをしていた老婆に話かけると、言葉が分かりにくい。四苦八苦していると、そこに家の中から中年女性が出てきたので、話し相手を彼女に切り替えた。彼女は「貴州省から嫁いで来た」というので驚いた。南方の貴州から北の果ての内モンゴルまで直線でも1600‐1700キロある。いかにも遠く、恐らく農家同士の婚姻なら“専門業者”が介入したとしか考えられないが、どういうルートで来たのかとはさすがに聞きづらかった。彼女は「故郷にほとんど帰っていない」という。農家は貧しいそうなので、実際に貴州省へ頻繁に戻るのは難しいのであろう。この経験から、中国国内では人身売買まではいかなくとも、遠距離の婚姻を仲介する“業者”が多数存在していることを実感した。

今回の鉄鏈女事件を受けて、女性権利の保護団体である「中国婦女連合会」の機関誌は2月22日、社会科学院法学研究所の祁建建副研究員の文章を掲載した。同氏は「婦女の誘拐はグローバルな問題だ」と指摘し、独り中国に特化した犯罪でないことを強調した。確かに、米国などでも女性の拉致、長期監禁の事件が結構起きている。だが、他人事のように言う婦女連機関誌の文章に対し、読者からは「恥を知れ」「各国はこうした犯罪者を重罰に処している。中国はどうなんだ」などという批判が相次いだ。中国当局は、今回の事件を前近代的な中国農村の過去の残渣という形で葬ろうとしているが、ネットユーザーの多くはまだ、現在の農村、農家の姿であると認識しているようだ。

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