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江蘇省北部で見つかった「首に鎖の女性(鉄鏈女)」は人身売買事件の被害者か(上) 日暮高則

江蘇省北部で見つかった「首に鎖の女性(鉄鏈女)」は人身売買事件の被害者か(上) 日暮高則

江蘇省北部で見つかった「首に鎖の女性(鉄鏈女)」は人身売買事件の被害者か(上)

 

今年2月、北京冬季オリンピックの華やかな開幕式や競技の模様がテレビで流される一方で、江蘇省徐州市豊県の農村では、首に鎖が巻かれた女性(鉄鏈女)が寒空の中、粗末な小屋に放置されたまま見つかったという動画がSNS上で拡散された。この動画は世界各国のメディアでキャリーされたため、アクセスが100億回を超え、注目度は五輪以上となった。問題になった鉄鏈女は、この村に住む董志民(55)の妻である「楊慶侠」さんだ。この女性は一人っ子政策の時代から子供を産み続け、すでに8人の子持ちとなっている。董は「妻は精神異常があり、子供に暴力を振るうので小屋に閉じ込めた」と話しているが、真相は分からない。海外メディアの情報によれば、結婚適齢期を迎えた男性の嫁不足解消のために、江蘇省北部には2000年ごろまで、女性の「人身売買市場」があったとされ、董の妻もそこから“調達”された可能性があるという。上海や深圳の華々しい経済発展の陰で、農村では依然封建的な風習が残り、女権、人権が守られていない現実がある。都市と農村のギャップが改めて浮き彫りになった。

江蘇省党委員会は2月17日、「徐州鉄鏈女調査組」を組織し、事件の真相究明に乗り出した。それによると、董の父親、董立更(既に死亡)が1998年6月ごろ、徐州市と山東省済寧市魚台県の省境付近で物乞いをしていた女性を見つけ、「息子の嫁に」との思いから徐州市豊県歓口鎮董集村の自宅に連れてきたという。彼女は知的、精神障害があり、自分の名前が分からないということで、董立更によって便宜的に「楊慶侠」と名付けられた。中国では一人っ子政策の影響で極端な男子出生偏重があり、現在、結婚適齢期の年代で見ると、男女の人口差は3500万人に達している。特に農村では、将来の家の存続、労働力を求める意味から男子偏重が顕著であったため、結果として極端な女子不足、嫁不足現象を招来してしまった。

幸いにも董志民は「楊慶侠」を妻とし、1998年8月に豊県政府に婚姻届を出した。嫁不足の農村では実に喜ばしいことなので、同県政府は当時、「楊慶侠」の身元確認もなく、杓子定規に婚姻届を受理したようだ。彼女には知的障害があり、雲南省の家族と連絡が取れなかったのか、あるいは董家の監視下にあり、望んでもできなかったのか、雲南省の彼女の郷里には所在地も結婚したことも連絡していなかった。夫婦はその後、一人っ子政策を無視するように次々に8人の子供を儲けた。ところが今回、鉄鏈女の動画が拡散されたことで、「この女性は四川省南充市で行方不明になっている『李瑩』ではないか」との訴えがあった。このため、江蘇省党委の指示を受けて徐州市、豊県政府が改めて女性の身元調査に乗り出した。

「楊慶侠」に心身障害があれば、明確に自分がだれかと答える環境になく、最終的にその確認はDNA鑑定に頼るしかない。これまでの照合で、「楊慶侠」と四川省にいる李瑩さんの母親との母娘関係は否定された。他からの情報から調査を進めた結果、「楊慶侠」は四川省の「李瑩」でなく、ミャンマー国境に近い雲南省の少数民族地区、怒江リス族自治州福貢県亜谷村にいた「小花梅」ではないかとの見方が強まった。「小花梅」の両親はすでに死亡しているため確実性はないが、親戚とのDNA照合で「小花梅」である可能性が高いことが分かった。小花梅なら1977年5月13日生まれだから、現年齢は44歳だ。

「小花梅」は1994年、一度、怒江リス族自治州に近い雲南省保山市の男性に嫁いだが、2年後に離婚して郷里に戻った。その後、同村に住む桑姓の女性が「新しい夫を探してあげる」と言って、江蘇省に連れて行ったという。桑は江蘇省側の調べに対し、「連雲港市で小花梅とはぐれてしまった」と供述し、その後に行方については言葉を濁した。だが、彼女は、発展している沿岸部でも農村は嫁不足であることを承知しており、女性を連れて行けば金儲けになると考えていたようで、「小花梅とはぐれた」のでなく、実際は現地の“業者”に引き渡していた可能性が高いと江蘇省の調査組は見ている。桑は今回の件で、桑は人身売買の罪などで逮捕されている。

ところで、最初に訴え出た四川省の「李瑩」の件だが、江蘇省政府の調べによると、1996年に、四川省南充市で李瑩という当時12歳の女子生徒が通学途中に誘拐に遭ったことは事実のようだ。彼女はその後、20数日間にわたって重慶市、貴州省貴陽市、湖南省長沙市、河南省鄭州市、それから徐州市と連れ回され、最後に豊県に来たのではないかとの情報もある。李瑩さんは間違いなくプロフェッショナルな誘拐犯罪集団に拉致され、“引き取り手”を探して各地を転々とさせられたようだ。李さんが今、どこにいるかは分からない。現実に江蘇省北部に誘拐集団のアジトがあるのならば、董志民の父親は「省境付近で物乞いしていた女性を連れてきた」のでなく、あるいは誘拐集団から金銭で購入したことも考えられる。

董志民の結婚に売買婚の可能性があったとしても、農村での嫁不足は深刻であるから、地方政府は承知していても知らない振りをしていたことも考えられる。ジャーナリストが最初に豊県に取材に訪れた時には、地元警察は「知らない」「董は正常に結婚した」と言い張ったという。当初、地方党委、政府の幹部が今一つこの事件の解明に乗り気でなかったのは、一人っ子政策時代に多産を見逃していたという管理責任を問われることを恐れたからだ。さらには、人身売買そのものにも政府の役人も関わっていた疑惑があったからだとも言われる。実際、江蘇省党委は鉄鏈女事件の発覚後、管理責任を問うて豊県書記の婁海、副書記で県長の鄭春偉ら17人の処分を発表している。

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