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第13回 北京最大のモスク:牛街礼拝寺 東福大輔

第13回 北京最大のモスク:牛街礼拝寺 東福大輔

第13回 北京最大のモスク:牛街礼拝寺

漢民族が大半を占める国家なので忘れがちな事であるけれども、中国にはイスラム教がかなり浸透している。大学の食堂には必ずハラール・フードを提供するカウンターがあるし、礼拝スペースをもつ空港や駅も多い。イスラム教は中国において長い弾圧の歴史をもつが、宗教に対して冷淡な態度をとりがちな共産主義にとっても、無視できないほどに信者が多いのである。イスラム教に関して言えば、東京オリンピックを契機に慌ててイスラム対応をしている日本よりも、よほど先進国かもしれないと思う。

西安、西寧、敦煌、ウルムチと、西に行けば行くほどイスラム教の影響は強くなっていくが、大陸のほぼ東端に位置する北京とて例外ではない。北京ダックなどの宮廷料理を除けば、北京の庶民向け料理といえば、爆肚、牛肉麺、羊肉串など、イスラム料理にルーツを持つ料理がほとんどで、街角の食堂でこれらを口にするたびに、広大なユーラシア大陸の片隅にいることを感じる。そして、そんなイスラム食堂がとりわけ多く集まっているのが、回族が多く住む牛街(ニウジエ)という道に沿ったエリアである。

牛街の中心部、通りの東側に「牛街礼拝寺(ニウジエリーバイスー)」という大きなモスクがある。このモスクの創建は北宋時代の10世紀末だと伝えられるが、その後何度か増改築がなされ、だいたい今の形になったのは17世紀末の清朝、康熙帝の時代だったとされる。通りには、この建物のシンボルともいうべき「望月楼」が面している。清朝の建築には、装飾的な文様で埋めつくす「空白恐怖症」とも呼ぶべき特徴があるが、この望月楼も同様で、赤を基調に、ブルー系の塗料で梁に隈なく文様が描き込まれている。模様に混じって、日用品や各地の風景などの写実的な絵があるのは、偶像崇拝を固く禁じるイスラム教の建物としては奇異に感じる。千年に及ぶ歴史の中で教徒の心まで変質してしまったのかと少々不安になる。

中国の伝統的な中庭型配置にはじまり、細部にいたるまで著しい中国化がみられるこの建物ではあるが、全体の配置計画ではモスク特有の決まりごとが守られている。決まりごととはすなわち、全てのモスクはメッカの方向(キブラという)に向かって建てられなければならないということだ。北京から見たメッカの方向はほぼ真西だが、この建物の敷地は道路の東側にあるので、人々は前述の望月楼の右手にある小さな入口から礼拝堂を回り込むように入ることになる。沐浴所わきの狭苦しい通路を抜けて中庭に入り込むと、中庭には「邦克楼(ミナレット)」と、中に石碑を収めた「碑亭」2つ、合計3つの塔が建っている。ミナレットは付近の信者に礼拝を呼びかけるための塔であり、モスクの「決まりごと」の一つであるが、一方の碑亭の中の石碑には皇帝の庇護のもと作られたことが克明に記されており、中国的、いや清朝的な事情で作られたものであることがわかる。

礼拝堂の中に入ると、ここでも、中国の伝統的な赤色「中国紅」で塗りまわされた扉と、青系の塗料で描かれた幾何学文様が絶妙なコントラストを描いている。奥に見えるミフラーブはキブラを表示するためのもので、通常はシンプルなデザインにとどめられるが、ここでは「磚(セン)」という中国式黒レンガで飾り立てられている。この建物をたずねるたび、中国化に抗うイスラム教徒たちの格闘を見るかのようで、なんとも共感してしまうのである。


写真1枚目:道路沿いには、望月楼が建つ。この裏側に礼拝堂があり、これらを廻りこんで入る。
写真2枚目:礼拝堂内部。清朝のモチーフとイスラムの幾何学模様が混ざり合った装飾。
map:[牛街礼拝寺] 北京市西城区。地下鉄2号線「長椿街」駅よりバス10路「牛街礼拝寺」バス停下車、または地下鉄10号線「広安門内」駅から徒歩15分。無休、8:00~16:00、入場料20元。


 

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