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第9回 首都・ソウルの鎮山 北漢山 森正哲央

第9回 首都・ソウルの鎮山 北漢山 森正哲央

第9回 首都・ソウルの鎮山 北漢山

今回は、師走ということもあり、ソウル・北漢山へのヘドジ(初日の出)登山について紹介したい。

北漢山は、白頭山、智異山、金剛山、妙香山とともに“朝鮮五岳”に数えられ、ソウル近郊の山の中では最も高い山だ。李王朝を開いた太祖・李成桂が都を決めて以来、ソウル(漢陽)の鎮山としてあがめられてきた。

山域は白雲台(837m)、仁寿峰(810m)、万鏡台(799m)を中心とした北と、文殊峰(723m)、普賢峰(700m)、碑峰(560m)、羅漢峰(715m)などを中心とした南に大きく分かれるが、その核心部は峻険な花崗岩の岩峰ひしめく北側といえよう。かつて三角山や三峰山と呼ばれたが、これは北側から見ると、3つの岩峰が三角形に見えるため。「北の大きな山」を意味する北漢山と呼ばれるようになったのは、日本の学者が総督府に提出した報告書がもとになったとも言われ、近代に入ってからのことだという。

登山コースは本格的な岩壁登攀が楽しめる岩峰から、山裾を一周するトレッキングコース(北漢山トレッキル)まで多様。大都市ソウルの自然公園として訪問者数は年間774万人(2012年度)を数え、断トツの人気を誇っている。山道は縦横に整備されており、足の赴くまま歩いても楽しい。ただ手軽に訪ねることができる山ながら、一般コースでも危険な場所がある。韓国一事故が多い山でもあることも肝に銘じておきたい。

今回は最も一般的なルート、江北区牛耳洞から最高峰の白雲台を目指した。前日は地下鉄4号線、弥阿駅そばの旅館に宿泊し、翌未明に出発する。弥阿里から牛耳洞にある登山口の道詵寺駐車場まではタクシーを使う。三陽路を北上した車は、道詵寺入口で左折、牛耳川に沿って森の中を登る。道端を歩く登山客を次々と追い抜き、弥阿駅から約15分で駐車場についた。ここには白雲台探訪支援センターがあり、売店の店先ではおでんの湯気が立ち昇っていた。駐車場から道詵寺までは300mほどだが、山行コースから外れているので今回は立ち寄らない。

6時ジャスト、多くの登山客に続いて暗闇へと踏み出す。北漢山はソウルにおけるヘドジ(日の出)の名所ということもあり、さすがに人出が多い。この日、ソウルの日の出は7時47分。あまり時間がないので急ぐ必要がある。懐中電灯の明かりが前後でユラユラ揺れ、夏夜の富士登山を思い出す。足元は石段だが、残雪が凍結してかなり滑る。25分で霊峰下のハル峠を越えると高陽市側へ入る。仁寿庵と警察山岳救助隊を過ぎると再び急登。傾斜が急な場所には手摺が整備されているが、軽アイゼンで足場を固める。転んだら後ろに続く人を巻き込んで滑り落ちそうだ。

仁寿庵から40分で白雲待避所につく。宿泊も可能で、中を覗くとカップ麺やコーヒーで暖をとる人であふれていた。眼下に瞬く街の灯りを背にさらに200m上がると、白雲台と万鏡台の鞍部にある北漢山城の衛門にでる。衛門の前で小休止する間にも空が白んできた。あいにくの曇り空、残念だが御来光は拝めそうにない。

衛門から白雲台のピークまでは約300mの急な鎖場で、両手両足で攀じ登る。登・下山者が数珠つなぎとなり、30分ほどかかってやっと太極旗のはためく山頂に立った。真ん前のツルっとした花崗岩ドームは、岩壁登攀のメッカ、仁寿峰。峰の北側に耳岩が突き出た様が、赤ん坊を負ぶったようだと負児岳とも呼ばれる。一方、南の万鏡台はゴツゴツして厳つい。李成桂とともに風水に精通した無学大師(1327~1405)が登って周囲を眺望、ソウルに都を置くことを決めたとされることから、国望峰とも呼ぶ。万鏡台の右後方には羅漢峰、文殊峰、普賢峰など北漢山の南域のピークが並ぶ。晴れた日には西方に江華島や永宗島など黄海の島々も見える。

散歩のつもりで来てしまったのか、スカート姿の若い女性がいて、まわりの人たちもびっくりしている。手袋さえしていない。いらなくなった軽アイゼンがザックにあることを思い出して彼女にあげた。下りも、少し進んでは止まるというような牛歩で、衛門まで普段なら10分のところが35分かかる。 

ヘドジ(日の出)は残念ながら拝めなかったが、北漢山は大都会のそばにあるとは思えないスケールと険しさを誇り、雪岳山や智異山とともに韓国を代表する山であることを改めて実感、充実した新年の朝となった。

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