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〔2〕日本と大陸の直通乗車券は本当に「1枚のきっぷ」だった 小牟田哲彦(作家)

〔2〕日本と大陸の直通乗車券は本当に「1枚のきっぷ」だった 小牟田哲彦(作家)

〔2〕日本と大陸の直通乗車券は本当に「1枚のきっぷ」だった

今や公共交通機関を利用するときはICカードやE-チケットサービスを利用することが珍しくなくなり、紙の「きっぷ」を購入する手続きを今も主流としているのは、鉄道の長距離列車くらいのような気がする。そのうち、「きっぷ」という単語が死語になる日も遠くないかもしれない。

戦前の日本の鉄道駅ではシベリア鉄道経由でロンドンまでの直通乗車券が買えた、という話は、それなりに知られている話のようだ。だが、それが実際にどんな形状のきっぷだったのか、と聞かれると、本物はおろか写真でも見たことがない人がほとんどだろう。

「直通きっぷが買えた」と言っても、シベリア鉄道やヨーロッパまで有効な直通乗車券の場合、国内の鉄道で一般的だった小さな厚紙紙片のきっぷ(硬券)1枚というわけにはさすがにいかない。国際乗車券である以上、外国でも券面の意味が読解できるよう、当時の国際通用語である欧米系の言語が併記されていなければならなかったからだ。

したがって、必要事項が記載されるべきチケットは必然的に大型化、あるいは枚数が多くなる。その結果、日本国内からシベリア鉄道方面へ通じる国際連絡乗車券は、ポケットサイズの手帳大の大きさで、しかも使用する順番に、冊子状に何枚も綴じられていた。オモテには日本語、ウラには英語で、それぞれの紙片の有効区間が印字されていて、いかにもこれからの遠大な旅行を予感させてくれる雰囲気があった。

ところが、ヨーロッパではなく、朝鮮半島や中国大陸、特に満鉄(南満洲鉄道)の駅と日本国内の駅との間の乗車券の場合は、そういう特別感がない。日本国内でかつては近距離切符としても窓口で売られていた小さな硬券1枚で、本当に海を越えて日鮮満の国際列車を乗り継ぐことができたのだ。

画像に示した「新京発安東、釜山経由東京市内行き」の3等乗車券はその一例である。満洲国の首都・新京(現・長春)から満鉄を走り、平壌、京城(現・ソウル)を経由して朝鮮半島を南下し、釜山から連絡船で日本本土に渡り、山陽本線と東海道本線を乗り継いで東京まで有効の3等乗車券である(昭和16年8月発行)。通用期間は1ヵ月で、券面に「三宮」駅の途中下車印が押してある。東京へ行く途中、所用で神戸に立ち寄ったのだろうか。

このような普通様式(?)のきっぷで国際旅客にも対応できたのは、当時の日本本土の鉄道を所管する鉄道省、朝鮮半島の官営鉄道を運営する朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)、そして満鉄の3事業体の間が、事実上、鉄道省の運賃制度を共通の基礎として旅客の相互乗入れのための仕組みを整えていたことが要因と考えられる。朝鮮半島は日本の統治下にあったし、満鉄は、外国を走るとはいえ日露戦争によって得た日本の鉄道会社だったので、直通運賃制度を導入しやすかったのだろう。同じ範囲の鉄道網が日本、韓国、北朝鮮、中国の4ヵ国に分かれ、それぞれの運賃制度が独自に整備されている現代では、このような乗車券の発行はまず再現不能とみてよい(そもそも、韓国と北朝鮮は鉄道で往来できないし)。

それにしても、海を越えてよその国まで鉄道を数日かけて乗り継いでいこうというのに、大枚をはたいて駅の窓口で渡されたきっぷがこんなに小さいと、逆に拍子抜けしそうな気がする。画像の「新京発東京市内行き」のきっぷの実寸はタテ3.0センチ、ヨコ5.75センチ(いわゆる「エドモンソン式乗車券」。日本の国鉄では「A型券」と称した)。小さすぎて、長旅の途中でなくしたらどうしようかと不安になるのでは……などという想像は、そもそも紙の「きっぷ」に存在感を見出さない世代には理解されないかもしれない。

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