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〔1〕ヤマトホテルのアイスクリーム・チケット 小牟田哲彦(作家)

〔1〕ヤマトホテルのアイスクリーム・チケット 小牟田哲彦(作家)

〔1〕ヤマトホテルのアイスクリーム・チケット

 中国東北部の遼寧半島の先端に位置する港湾都市・大連。その街の中心部にある中山広場に面して、赤レンガ造りの古びた欧風ホテルが建っている。現在は営業停止中のため外から眺めることしかできないが、2017年秋までは「大連賓館」という3つ星ホテルとして営業していて、宿泊することはもちろん、館内を見学するだけの観光客も多く、その多くは日本人旅行者だった。100年以上前の1914年(大正3年)に創業したこの老ホテルは第2次世界大戦の終結まで、「大連ヤマトホテル」と称する大連一の格式を誇る名ホテルだったからである。

 ヤマトホテルは満鉄(南満洲鉄道株式会社)が直接経営していた西洋式のホテルチェーンで、満鉄沿線の主要都市で営業していた。特に、大連は日本内地や他の中国沿岸都市とを結ぶ満洲の玄関港であり、満鉄からシベリア鉄道を通じて遠くヨーロッパまで続く大陸横断鉄道の出発点でもあったため、その街の中心に開業した大連ヤマトホテルは、ヤマトホテルチェーンの旗艦店と位置付けられていた。欧米人の利用を想定した洋式客室には蒸気暖房が完備し、館内のレストランでは本格的な西洋料理が生演奏の音楽付きで楽しめた。大連ヤマトホテルには、専属のオーケストラまでいたのだ。

 そんな豪華ホテルなので、一般市民には手が届きにくく近寄りがたい存在だったかと言うと、そうでもなかったらしい。屋上に造られた庭園は、夏になると「ルーフガーデン」と称して午後7時から10時半までのナイトタイム営業を行う屋外レストランになり、プチ贅沢を楽しむ地元の家族連れで賑わった。もっとも、市民向けに敷居は低くとも、特別感を醸し出すため最低限の“ドレスコード”があり、足袋を履かず素足に雪駄の着流し姿で入場を断られた者もいたという。

 そのルーフガーデンの名物が、ウエハース付きのアイスクリームだった。家庭用の電気冷蔵庫や冷凍庫などほとんど見られなかった時代、夏に食するアイスクリームの特別感は現代とは比較にならないものだったに違いない。ホテル側も、アイスクリーム1つにわざわざ「ルーフガーデンアイスクリーム券」なるチケットを作って、引換券として販売していた。

薄緑色のそのチケットに印字された値段は、1つ30銭。当時のルーフガーデンのメニューによれば、大人が飲む生ビールはジョッキ1杯25銭、アイスコーヒーが20銭だから、アイスクリームはそれらより高い。大連に住む子供たちにとって、ヤマトホテルのルーフガーデンで味わうアイスクリームは、夏の大きな楽しみであり、憧れの存在だったのだ。子供たちはこのアイスクリームを頬張り、大人たちはビールジョッキやワイングラスを傾けながら、家族みんなでホテル専属オーケストラの生演奏に耳を傾けたり、上映されるサイレント映画を楽しんでいた。そんな夏の一夜を楽しむ市民の日常生活が昭和初期の大連にあったことを、この小さなアイスクリーム券の紙片が静かに物語っている。


  
《100年のアジア旅行 小牟田哲彦》次回
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