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「中国帰国者」って知っていますか? 第1回 「中国帰国者」ということば 興津正信(日本語教師)

「中国帰国者」って知っていますか? 第1回 「中国帰国者」ということば 興津正信(日本語教師)

第1回 「中国帰国者」ということば

「中国帰国者」ということばをご存知であろうか。

「中国帰国者」ということばよりも、「中国残留孤児」や「中国残留婦人」と示せば、ご存知の方もいるかと思う。なかには「あっ!まさにリアル『大地の子』(注1)ですね」と思われる方もいるのではないだろうか。

1931年9月、中国の東北地方で、日本陸軍による満州事変が勃発した。その後、その地に1932年、日本の傀儡国家「満州国」が建国、「満州農業移民百万戸移住計画」が国策として推進され、多くの日本人が移住するようになった。終戦となった1945年には、満蒙開拓団(満州や内モンゴル等に入植するために結成された日本人農業移民団)を含む約155万人の日本人が中国東北地方に住んでいたと言われている。

 そんな多くの日本人が住んでいた中国東北地方に、終戦の直前、ソ連軍が突如攻め込んできた。この時、大多数の壮年男子が軍隊に召集されていたため、残っていたのは老人婦女子がほとんどで、多くの犠牲者が出たのである。このソ連軍の侵攻や終戦の混乱の中で、親兄弟と死別もしくは生別となってしまい、孤児となって中国人に引き取られたり、中国人の妻になったりなどして、やむなく中国に残ることになった日本人が多く出たのである。これらの人々が「中国残留孤児」「中国残留婦人」であり、のちに「中国残留邦人」もしくは「中国残留日本人」と総称されるようになった。

 そして、「中国帰国者」というのは、「帰国」という語があるように、中国残留日本人のうち、1972年の日中国交正常化以後に日本へ永住帰国し、定住するようになった中国残留日本人のことで、中国から呼び寄せた家族等も含めて言うようになっている。中国残留日本人は、帰国当初は一時帰国の扱いだったが、1980年代から、日本での定着・自立を促進するため、彼らに対し本格的に支援策が講じられるようになってきた。これらの支援事業の関係者の中では、「中国残留日本人」よりも「中国帰国者」という呼称を使うようになっている。ここで注意すべきことは、1972年以前、つまり、終戦後から始まった引揚事業で帰還できた日本人帰国者(引揚者)とは区別されることである。「中国帰国者」とは、その引揚事業で漏れてしまい、帰国する機会を失った中国残留日本人のうち、1972年以降にようやく帰国できた人々のことなのである(注2)。

 国が責任をもって、中国残留孤児及び婦人らの身元判明調査を行い、帰国事業に取り組み始めたのは、1980年代に入ってからである。日中両国間のこの戦後処理・補償問題に、戦後35年経ってようやく本格的に着手するようになった。何はともあれ、晴れて日本に永住帰国できる資格を得られた中国帰国者たちは、各々、日本各地で定住していくことになった。こうして、先の戦争で味わった苦労は過去のこと、中国帰国者問題は終わりという見方も出るようになったが、決してそういうわけではないのである。

 ほとんどの中国帰国者は、長く中国で生活していたことで、中国残留日本人本人はじめその家族ともども、言葉、習慣、価値観等が中国文化圏の気質になっている。つまり、「日本」はすでに彼らにとっては「異文化」の世界なのである。簡単には帰国当時の日本社会の生活には適応できなかった。とくに中国残留日本人本人と一緒に来た家族は中国で生まれ育った中国人なので、日本語がまったくわからない。そういう文化・習慣や行動様式が異なることで、定着した先の地域住民たちとうまくいかず、トラブルを起こしたり、差別を受けたり、就職や進学などで思い通りにいかなかったりという問題が発生し、今も依然として残っている。また子ども・孫世代、つまり二世、三世、四世等の中国帰国者の中には、日本と中国の狭間で、自分のアイデンティティに悩み苦しんでいる人も多い。このように「中国帰国者」たちの出自や生い立ち等によって、まさに千差万別、限りない数の悩みや問題のケースが存在するのである。その中で共通して言えることは、永住帰国さえすればもう何も困難がない、あとは普通に生活できるだろうと考えることは間違いであるということだ。中国帰国者問題は、むしろ永住帰国し、定着し始めたときから始まると言えよう。「中国残留日本人」も「中国帰国者」もかつての戦争の話で、歴史用語だと思われがちかもしれない。しかし、単にことばの話で終わらせるべきではない。今の社会で生活している人たちが抱えている事柄であり、継続中の問題なのだと思う。

 私は現在、複数の場所で日本語教師をしている。その一つの仕事が中国帰国者向けの日本語学習支援である。日本語教師になるには、日本語の教授法や言語学としての日本語などを学ぶわけだが、日本の在留外国人施策や多文化共生といった異文化接触についても学んだ。そのなかで、必ずと言ってもいいほど「中国帰国者」ということばは、日本語教育の用語としても出てくる。今も、日本語学習の機会を必要としている中国帰国者が日本各地にいて、日本語学習支援の課題は継続中の問題なのである。

 さらに言えば、戦後77年経ったがゆえに、中国帰国者問題は、中国帰国者の高齢化に伴う医療・介護の問題や、中国帰国者一世と二世、三世、または一世本人の配偶者など世代間・家族間での問題が、複雑化・多様化されてきている。やはり中国帰国者問題は解決した、終わったとは言えない。

注1:1987年から約4年間、『月刊文藝春秋』で連載された山崎豊子の小説。中国残留孤児・陸一心(ルー・イーシン)の波乱万丈な半生を描いた物語。

注2:「中国帰国者」の定義については様々あるが、ここでは国から中国帰国者関連の事業を委託された「中国帰国者支援・交流センター」のホームページ(https://www.sien-center.or.jp/index.html)の説明を基にした。

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