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ゼロコロナの都市封鎖から一転緩和措置へ、感染拡大により経済活動は依然厳しい見通し(上) 日暮高則

ゼロコロナの都市封鎖から一転緩和措置へ、感染拡大により経済活動は依然厳しい見通し(上) 日暮高則

ゼロコロナの都市封鎖から一転緩和措置へ、感染拡大により経済活動は依然厳しい見通し(上)

中国の「ゼロコロナ」対策による国民の縛り付けは11月下旬、新疆ウイグル自治区でのマンション火災で多数の死者を出したことを契機についに弾けた。全国各地で「白衛兵」に対して実力で反発する動きが起こり、上海など大都市では、集まった人たちが一斉に白紙を掲げる本格的な抗議行動に発展した。この中で世界を驚かせたのは「共産党下台、習近平下台」のシュプレヒコールがあったこと。共産党の執政そのものに露骨に反対するのは、1989年の天安門事件の際にもなかった事態だ。この抗議行動を受けて、党中央と政府はついにゼロコロナの緩和へと方向転換した。すると、予想された通り、感染が拡大し、感染者の死亡が相次ぎ、火葬場も満杯の状態になっているという。「感染してもいい、拘束より行動の自由を」と訴えていた都市住民も唖然としたようだ。都市の封鎖解除で抑えられていた経済活動が復活すると見られ、期待は膨らむが、コロナが収束されているわけではないので、依然厳しい環境は続きそうだ。

<白紙運動と反党、反習の声>

今春以降、中国各地で断続的に続いていたゼロコロナによる封城(都市封鎖、ロックダウン)は、住民を居住地に縛り付け、自由な行動を抑えつけてきた。このため、秋になって我慢の限界を迎え、怒りが爆発した。その契機になったのが、11月24日夜、新疆ウイグルの区都ウルムチで起きたマンション火災。高層ビルの上階で火災が起こり、公式報道では10人が焼死したという。だが、別の情報では、当夜の救急病院の勤務医師が「実際は44人が死亡した」と証言している。死者は逃げ遅れたのでなく、ゼロコロナで住居地どころか部屋まで施錠されていたので、住民は逃げたくとも逃げられなかったのだ。死者の中には、漢族のほか、拘束を恐れてスイスに逃れたウイグル人の家族4人も含まれていたとの説もあり、少数民族問題も絡む。事態を知ったウルムチ市の住民は翌日25日、街に繰り出し、「封鎖を止めろ」と叫びながら、デモ行進した。この抗議行動はまたたく間に全国に広がった。

同じく封城に苦しんでいた北京、成都、上海、武漢、杭州などの大都市住民も、白い防護服を着て都市封鎖の先兵となっていた警察や城管(都市管理職員)、衛生担当者らの「白衛兵」に抗議し、実力で封鎖を突き破った。一部はゼロコロナ反対と人権の確保を訴える目的で、無言のままA4判の白紙を掲げた。白紙の意味は、明確な抗議の中身を示していなければ、当局側も逮捕拘束しにくいだろうという読みがあったのだ。だがその後北京で「われわれも人間だ。人権が欲しい、自由が欲しい」との声を上げ始め、広州市では「言論の自由、報道の自由を」と具体的な要求内容も提示した。封鎖された居住民だけでなく、清華大、中国人民大、復旦大、上海大、上海交通大、中山大など103校の優秀な高等教育機関でも抗議デモが起きた。

一連の抗議集会で世界を驚かせたのは、集まった人たちが共産党の執政にまで言及したことだ。26日に始まった上海の集会では、ある人が「共産党」「習近平」の声を上げると、周辺の人が「下台(辞めろ)」と過激な掛け声で応じた。1989年春の民主化運動、天安門事件時でも「李鵬(総理)下台」という標語は出たが、当時の最高指導者の鄧小平氏まで言及することはなかった。恐らく公の場で共産党執政に反対し、かつ時の最高指導者を否定する言葉まで出たのは初めてではなかったか。2018年、上海で習近平国家主席の肖像画に墨汁を投げつけた女性がその後2年半にわたり監視下に置かれ、最後は精神病院に強制入院させられたことがあった。公共の場で反党、反中央指導者の意思表示をすると、このように激しい報復に遭うことが必至なのだ。

たとえ海外にいたとしても、中国人がそうした言葉を口にするのはかなり勇気が要る。それでも今回、反共産党、反習近平のデモ、集会は欧米、日本、オ―ストラリアの華人社会の中でも行われた。これに呼応するように、民主主義の諸外国はその華人の行動に対して支持の意思を示す声明を出した。米ホワイトハウスの国家安全保障会議のジョン・カービー戦略広報担当調整官は「米国は大きな関心を持って抗議行動を見守っている。中国人民が平和的に行動する権利を支持する」と語った。下院外交委員会のケビン・マッカーシ―議員(共和党)は「中国共産党の統治形態はもはや歓迎されないし、挑戦されないものでもない。リスクを恐れず共産党に反対する勇者に敬意を表する」と連帯のコメントを出した。

習近平政権下で軍事侵攻の危機にさらされている台湾でも白紙運動を支持する声が上がった。大陸との関係修復を目指す国民党の朱立倫主席は「大陸民衆、学生が行動をもってゼロコロナに反対していることに関心を持っている。彼らの意見表明を支持するし、中共当局も慎重に耳を傾けるべきだ」との見解を示した。抗議行動に立ち上がった市民、学生に対し、党内からも寛容な声がなかったわけではない。党機関紙「人民日報」傘下で過激な対外評論で有名な「環球時報」の前総編集の胡錫進氏は11月28日にSNS「微博」で、「民衆には意見を表明する権利がある」と、暗に行動を支持するような言葉を書いた。ただ、彼は海外通だけに「昨今の事態を見ると、さまざまな要因があるように思える。すなわち外部(海外か)の要因が中国の混乱を引き起こしている」との外部影響説を主張することも忘れなかった。

<ゼロコロナの緩和

ゼロコロナは、習主席が強く主張し、実施された政策だと言われる。2020年の武漢での都市封鎖で、一度はコロナを完全に封じ込め、その成果を世界に誇ったことが成功体験として記憶に残っていたからであろうか。習氏は今年10月の第20回共産党大会で3期目の政権をスタートしたばかり。この時点でゼロコロナ反対ののろしが上がり、さらに「習近平辞めろ」の声まで出たことは、著しくメンツをつぶされた形となった。したがって、本来なら意地でも断固ゼロコロナを継続推進していくところだが、習政権は意外にも寛容に緩和措置を打ち出してきた。一般市民の切実な声を受け止めたためか、学生らの便乗した動きを恐れたためか、それとも医学的にゼロコロナ対策に疑問を持ち始めたためかは分からない。

大都市の緩和措置はまず広州市から始まった。12月1日から封鎖地区が解除され、レストランなどの店内飲食が始まった。2か月間封城で苦しんだ上海では12月5日から、公共交通機関利用にPCR検査の陰性証明は要らなくなった。外交使節が来て外国人も多く、注目度が高い首都の北京市では6日から、レストランなどの店内飲食ができるようになった。建物に入る際の48時間以内の陰性証明が必要なくなった。感染拡大地域の住民を対象にPCRの強制検査も止め、一定の居住地封鎖、強制隔離措置も限定的にするようにした。

北京は1989年春に民主化運動、天安門事件の舞台となり、首都故に世界的な注目を浴びた。習近平指導部はその再現を防ぐ狙いがあったように思われる。習主席は、ゼロコロナで抗議行動が起きた理由について、12月1日に北京を訪問したミシェルEU大統領に対して、「大学生たちはコロナ禍の閉鎖でストレスをためている」との見解を示したという。この言葉の裏には、89年民主化運動が大学生の動きが発端で起きたので、彼らの動向をずっと注視し、政権転覆の引き金になるような暴発を起こさないよう警戒している様子がうかがえる。

続いて、党中央と政府は12月7日、全国的にゼロコロナを緩和する政策を発表した。一定地域を強引に封鎖したり、工場の操業を停止にしたりすることを禁じた。コロナ感染者の強制隔離を止め、自宅療養を認めた。濃厚接触者もこれまでの8日間の隔離から5日間に短縮した。流行地域での全住民を対象としたPCR検査も止めるという。これらの緩和措置を取る理由として、国営新華社通信は、「コロナの最困難期は過ぎ去った。中国医療は3年の経験をもって十分に抑制態勢を整えることができた。ワクチン接種は90%に達した。現在のオミクロン株の病毒性は低く、人間の対応能力も向上してコロナ防御のベースを作り出している」と説明している。

中国国家衛生健康委員会専門家グループのトップである鐘南山医師は12月初め、「オミクロン(コロナの変異株)感染の致死率は0.1%程度に下がった。ある季節に流行するインフルエンザと同等だ。感染後に肺炎の症状はないのだから、『新型コロナ肺炎ウイルス』と呼ぶことは適さない。今は『新型コロナ・インフルエンザ・ウイルス』と呼称すべきである」と語った。確かに、今のコロナウイルスは変質して接触感染でなく、空気感染が主となり、大元のウイルス保持者を特定しにくいし、特定しても接触者の把握もしにくい。「病毒性が弱まっている中、十羽一絡げで住民に行動制限をかける意味があるのか」という声は今夏辺りから出ていた。しかし、中国の地方下級幹部は、党中央が「5」の指示を出すと、出世を争って上司の機嫌を取るため、「10」までやるという過剰対応に出る。それが封城を長引かせた原因でもあったようだ。

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