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第597回 学生時代の専攻語が結ぶ縁 伊藤努

第597回 学生時代の専攻語が結ぶ縁 伊藤努

第597回 学生時代の専攻語が結ぶ縁

勤務先の報道機関を定年退職した後も、最後となった職場での仕事の手伝いをさせてもらい、ドイツなど欧州地域を中心とした外交・軍事・安全保障分野の情報収集と分析を続けている。昨年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻以降は、西側諸国によるウクライナへの軍事支援や、対立を深める欧米とロシアの関係などに関する外国メディアの報道から興味ある要人の発言や専門家の分析を選び出し、それを翻訳することが多い。

国際報道畑を歩んできた筆者のような何人かの定年退職組の記者OBは客員研究員の肩書を頂戴し、それぞれ現役時代の海外任地と関係するカバーエリア(守備範囲)や得意とする分野を担当している。筆者の場合は特派員経験があるドイツの主要メディアが伝える専門的な情報を収集し、必要に応じて記事の概要をまとめ、自宅からメールを使って本社の担当編集者に適宜送っている。

客員研究員の仕事としてはもう一つ、50年も前の学生時代の同じ学科の同級生である女性のAさんに毎週1本、海外報道などで定評のあるドイツ誌が伝える外交・安全保障に関係する長尺物の現地ルポや要人へのインタビューなどの記事の概要を日本語に訳してもらい、それをチェックすることがある。学生時代にそれほど深い付き合いのなかったAさんに、勤務先の職場で行っている情報収集と長尺物記事の概要翻訳で協力をお願いするようになってから、かれこれ7年がたつ。

ドイツ語記事の翻訳協力をお願いするようになったのは全く偶然の成り行きで、確か2016年春に同じ学科の同級生数人と花見と称して飲み会に参加した折、隣の席にいたAさんに勤務先の仕事の協力を打診したところ、「ぜひやらせてください」という快諾を得たからだった。

Aさんは語学系の大学を卒業後に、東京芸術大学音楽学部に学士入学したことにうかがえるように、言語学や演劇、音楽への強い関心から大学でドイツ語を専攻したそうだが、学科の同級生たちを見ても、大学入学時に数ある外国語の中でドイツ語を専攻した理由はそれこそ十人十色だ。ドイツ語圏の文学や音楽、歴史・文化への関心に加え、ドイツあるいは欧州全般への興味など多岐にわたる。ドイツ語の習得はそのためのあくまで手段という位置づけで、それぞれの学生の個人的関心の赴くままに、さまざまな分野に首を突っ込んでいた同級生が多かったことを記憶する。

さて、Aさんは社会人となってから、ドイツに本社がある外資系の電機会社に就職し、上司のドイツ人幹部の秘書などをされていたそうだが、そうした経験もあってか、その後、企業通訳や翻訳者としての研鑚を積み、7年余り前の久しぶりの再会の折にはドイツ語の企業通訳者として独り立ちしていた。

このような仕事を日常的にこなしていたほどだから、ドイツ語の能力は折り紙付きなのだが、筆者が行っていたメディアの記事の外交・軍事・安全保障関連の翻訳は経験がなかったため、「ぜひ挑戦してみたい」とのことだった。それから、週1本のペースで「シュピーゲル風」と呼ばれる難解な文章表現で知られる硬派のドイツ週刊誌の長尺物記事の概要翻訳をお願いし、先ごろ、毎回毎回気苦労の多い記事翻訳の本数が500本に達した。筆者は毎週初めに、メールで連絡をもらう複数の概要翻訳候補記事の選択に当たるほか、Aさんが数日間かけて入念に訳された跡がうかがえる翻訳文の最終チェックと記事に関するコメントを添える程度の手伝いとして「二人三脚」の仕事に関わってきただけのことだ。ただ、長年にわたり手掛けてきた記事の多くが力作ぞろいだったため、欧州を中心に激動する国際情勢をカバーしてきた長尺物記事が大きな節目の本数に達したことにやはり感慨を覚える。もちろん、Aさんへの強い感謝の念が先に立つのだが……。

このことを、筆者の知人で人生の大先輩であるHさんに伝えると、Aさんの「偉業」をぜひ称えたいと、メンバーとなっている都心の名門倶楽部でのランチに私たちを誘ってくださった。実は、AさんはHさんがかつて勤めていた最大手製鉄会社の依頼で同社の企業通訳を務めたという縁があるため、時折、メールのやりとりを交わす程度の面識があったのである。ただ、新型コロナ禍の影響で会食の機会などがめっきり減ったため、対面で会うのは延び延びとなり、今回が初めての顔合わせとなった。

偶然の経緯でお二人の仲立ち役となった筆者を含め、初夏を前に新緑が望める静かな会食の場で美味な料理とワインをいただきながらの3人の歓談は長時間に及んだ。心温まる食事への招待のお礼として、かつての企業戦士として変転する国際情勢への好奇心がいまだに旺盛なHさんには、Aさんが引き続き手掛けるドイツ誌のシャープな分析記事の概要翻訳を時々はこっそりとお届けしたいと思った。

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