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第599回 「ホーチミンルート1万3000キロ」の衝撃映像 伊藤努

第599回 「ホーチミンルート1万3000キロ」の衝撃映像 伊藤努

第599回 「ホーチミンルート1万3000キロ」の衝撃映像

筆者と同じタイトルのコラム「アジアの今昔・未来」を本欄に交代で執筆している元テレビ朝日記者の直井謙二氏とのお付き合いは、1990年代後半のタイ・バンコクの駐在時代以降だから、かれこれ30年近くがたつ。人生の先輩にして、あらゆることに好奇心旺盛で取材力もある放送ジャーナリストのOBだ。 

これまで、東南アジア各地でテレビ局の特派員やニュース番組のキャスター、あるいは定年退職後はフリーのジャーナリストとして、多くの現場からの中継や興味深いルポ記事、コラムなどを拝見してきたが、直井氏がテレビドキュメンタリーのプロデューサー(制作責任者)として放映したベトナム戦争の実相を記録した映像作品については、その存在こそご本人からかねて聞いていたものの、1992年4月に報道番組でオンエアされたドキュメント映像を見ることはなかった。

実は最近、何らかの形でベトナムと関わりのある十数名の有志でつくる「ベトナム研究会」で4年越しの懸案だった直井プロデューサーのドキュメント映像「ホーチミンルート1万3000キロ~ベトナム戦争の勝敗を分けた道」の映写会が都心にある名門倶楽部の映写室で行われ、ベトナム戦争時のさまざまな貴重な映像や関係者の証言を目にすることができた。

ベトナムの少数民族に関する著書も刊行したベトナム通の日高敏夫氏(元ベトナム経営コンサルタント事務所代表)の下に参集した研究会の幹部が企画した直井プロデューサー制作のドキュメント映像の映写会は、2020年初めからの新型コロナ禍の影響で、日高氏が会員の倶楽部にある映写室が利用できなくなったため、4年近くも宙に浮いてしまっていた。ようやく実現の運びになった映写会であいさつした直井氏によれば、ベトナム戦争の実相をベトナム側の視点で改めて取材し、この戦争を歴史的視野から再考したドキュメント映像の制作意図について、軍事大国の米国がアジアの「小国」に敗れた戦争を取り上げる米ハリウッドの大型映画作品がいずれも、戦争に駆り出された米軍兵士の視点や米側の挫折感、敗北感などから描かれ、多大な人的、物的被害を受けたベトナム側の視点がすっぽり欠けていることに違和感を抱いたのがそもそものきっかけだったという。

しかし、ドキュメント映像の企画・制作を思い立った1980年代半ばはまだ東西冷戦時代で、ベトナム当局から取材許可は下りない時期が続いた。ベトナム側が直井氏らの取材要請を許可したのは、ドイツで「ベルリンの壁」が崩壊したのを受けて、冷戦終結が宣言され、米国がベトナムに軍事介入する理由の一つとして挙げた東南アジアにおける「共産主義化(赤化)のドミノ理論」が消え去ったとして、取材を拒む理由がなくなったためではないかと直井氏は推測している。いずれにせよ、企画段階からドキュメント映像の制作をあきらめなかった直井プロデューサーのジャーナリストとしての執念と国際情勢の変化という「幸運」が、ベトナムでの長期現地取材という千載一遇のチャンスを呼び込んだと言える。

さて、冷戦終結から3年後の1992年4月に放映された「ホーチミンルート1万3000キロ」のドキュメント映像は、世界最強の軍事力を擁する米軍に対して、旧植民地宗主国フランスとの第1次インドシナ戦争以来、長年にわたる民族解放闘争の戦争で経済・社会が疲弊していた当時の北ベトナム指導部がベトナムを南北に走るチョンソン山脈に毛細血管状の物資輸送路をつくり上げ、その後のテト攻勢などさまざまな政治戦略も組み合わせて最終的に米軍を撤退に追い込んでいく様子を、当時の軍幹部やホーチミンルートの建設に従事した末端の民兵らの証言を基に描き出している。

ベトナム戦争時代から、北ベトナム指導者の名前を冠したホーチミンルートの存在はよく知られていた。しかし、1975年のサイゴン陥落に伴う戦争終結後もしばらくの間、その全貌は明らかにされず、ルートは隣国のラオス、カンボジア領内にも及んでいたことや、ラオス領内のルートが戦略上、非常に重要だったことが確認されている。また、長大な山脈の間を流れる川なども、軍事物資をビニール袋に入れて輸送に使ったり、人馬だけでなく、力のある象も輸送部隊として活用したりするなど、自然界にあるものや地形などを最大限に利用していたことも分かった。

直井氏が現地取材班と2カ月をかけて制作した「ホーチミンルート1万3000キロ」のドキュメント映像は、ベトナム戦争中にはあまり知られていなかった北ベトナムや同国が支援する解放勢力側の軍事戦略の一端を初めて明らかにしており、歴史的にも貴重な証言が随所にちりばめられていた。

このドキュメント映像を映写会で鑑賞したベトナム事情にも詳しい若手の大学研究者は「ドキュメンタリーは面白く、やはり映像の情報量は多いと思いました。(ベトナム戦争に関して)何も知らなくても、今の学生も食いついていくかなと思った次第です。学生に多くのドキュメンタリーを見せていきたいと思いました」とその後のメールのやりとりで感想を語っていた。

今も、ウクライナでは侵攻したロシアとの間で激しい戦闘が各地で続いているが、ジャーナリズムが戦火の巻き添えになる多くの民間人の多大な被害を含め、戦争の実相に少しでも近づいていこうとし、読者や視聴者に関心を持ち続けさせることの重要性を、半世紀以上も前のベトナム戦争下の「ホーチミンルート1万3000キロ」のドキュメント映像は訴えているように思われる。

《アジアの今昔・未来 伊藤努》前回  
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