全てはここから始まったのです
卒業生の筆名ピンちゃん(萍酱)さん(2010年10月~2012年3月在籍)からメッセージをいただきました。(中文版)
ピンちゃんさんは、今年5月、連休の合間の平日、小さなキャリーケース一つ引いて、お昼過ぎに突然東亜学院に現れました。連休中に日本を再訪、最終日が平日だからと赤坂まで足を運んでくれたのでした。幸い、授業を担当していた先生が次々教室から戻ってきて感動の再会となりました。
聞けば15時台に羽田を発つとのこと、名残り惜しいけれど乗り遅れては困る、と、担当していた先生3人で、半ばエレベーターに押し込むような形で帰らせました。
後日、その日のこと、留学中のこと、留学体験談にまとめて送ってきてくれました。ご本人の中国語訳を付けてご紹介します。
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2023年、およそ3年間続いていたコロナ禍は終息になりました。海外旅行解除後の5月に久しぶりに東京を訪れました。旅の最後の目的地は、赤坂、東亜学院です。
事前連絡なしの突然の訪問で、先生たちも驚きました。
幸いに先生たちはまだ私の顔を覚えていました。(笑)
訪問する時にちょうど放課後の時間になり、教室から次々と出てきた学生さんたちの姿を見て、
「あら、十何年前の私もこんな感じだったかな~」と懐かしく思いました。
学校の施設や教室や先生の顔もあんまり変化はなく、まるで時間が止まったような懐かしく親しい感じがしました。
私は2010年10月に東亜学院に入学したのです。
1年半の東亜学院の学生生活は長いとは言えませんが、人生のかけがえない宝物になりました。
午後には学校に通い、夜にはバイトに行く、このような生活を過ごしていました。
また、初めてのアルバイト、初めての東京ディズニーランド、初めてのイチゴ採り…たくさんの「初めて」と色んな思い出は東亜学院時代で作っていたのです。
その中に今も強く印象に残っていたのは、スピーチコンテストです。
幸運にも私はクラスの代表者の一人として選ばれ、バイト先の片思いのラブストーリーをスピーチ内容にコンテストに参加しました。(笑)
他の参加者のように個人の成長や人生の目標など意味深いテーマにしたのではなく、日常生活からただの小さな物語で作成したスピーチ原稿だけですが、今振り返ってみると、それこそ青春の印というものではないかと思いますね。
あの時、このような楽しいこともありましたが、悩んでいることもあったのです。
大学院進学のための研究計画書の作成に非常に悩みました。
何回も担任の先生に相談したり原稿を修正したりしてようやくちゃんとした研究計画書ができて、東亜学院の先生たちのお陰で、夢の早稲田大学に進学することができました。
(※申し訳ないが、今も覚えている先生の名前は、担任の「厳しく真面目で冗談好き温かい先生」、「ユーモア一杯心が優しいY先生」、「上海語もできる親切感強いS先生」、「卒業後ある日、偶然地下鉄赤坂駅で会って本の読み方を教えてくれたA先生」だけですが、全ての先生に感謝を申し上げます!)
その後の早稲田大学時代でもたくさんのすばらしい教授と学生に出会い、自分の視野が広げられ考え方も変わりました。そこからの人生の方向性が変わったというのも過言ではありません。
全ては東亜学院から始まったのです。
今も感謝の気持ちは一杯です。本当にありがとうございました!!
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写真は2023年日本再訪時に本人撮影。
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東亜学院日本語学校留学生進学コースでは、中国語圏からの留学生を対象に、大学・大学院等への進学を目的とした日本語教育を行っています。
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