〔28〕検閲済みを示す空白が目立った昭和15年の『旅程と費用概算』 小牟田哲彦(作家)

〔28〕検閲済みを示す空白が目立った昭和15年の『旅程と費用概算』
一定期間ごとに定期的に改訂される旅行ガイドブックは、内容が毎年ガラッと一変するわけではなく、発行年を重ねるごとに少しずつ変化していくのが一般的である。巻頭の特集記事などはそのときどきの流行などに応じて毎回異なるとしても、伝統的な観光地の由来やみどころは同じなので、その説明が多少詳しくなったり、交通機関や宿泊先、食事の値段に関する情報がアップデートされたりする。
そうして更新されていく刊行物を継続的に追いかけていると、同じ旅館の宿泊代金の違いから物価やサービスの変遷が、アクセス手段の違いから交通インフラの発展ぶりが読み取れる。観光地として賑わうようになると、ある年の改訂版から同じ街のページに、新しい名所の解説が加わることもある。
ところが、戦時色が強まりつつあった昭和初期の旅行ガイドブックには、そうした記述の充実ぶりとは真逆の傾向が現れた。軍港の見学手続きや灯台観光に関する情報、都市部に軍の師団が置かれているなどの紹介記事はもとより、国境に近い地域の地形や天候に関する情報なども国の検閲によって削除されるようになったのだ。島嶼部の緯度や経度、山の標高や地域の平均気温といった具体的な数値は、軍事上の機密にあたると判断されたらしい。
しかも、検閲によって削除された文章や図版が載っていた部分はそのまま空白にするか、ページの半分くらいを占めるような一括削除の場合はごていねいに「削除」と印字したうえで市販された。下の画像は昭和15(1940)年に刊行された日本全国(外地を含む)の旅行ガイドブック『旅程と費用概算』の樺太に関するページの冒頭だが、見開きの左ページは上段、下段ともに半分近くの文章がごそっとカットされているのがわかる。右ページもよく見ると、稚内~大泊(現・コルサコフ)間の交通案内の2行目の途中に空白があり、ここに何かが書かれていて、検閲によって削除されたことが容易に推測できる。
(昭和15年「旅程と費用概算」樺太案内ページ)
こんなふうに検閲の事実がはっきりわかる形で市販しても、大半の情報が前年版を踏襲する旅行ガイドブックの場合は、そこに何が書いてあったのかを知るのはたやすい。この昭和15年版『旅程と費用概算』の樺太に関するページの場合、前年発行版の見開き左ページの上段には樺太の緯度や面積が数値付きで説明されており、下段には「樺太の各月平均温度」という図表が載っていた。右ページの「稚内・大泊間」の後の空白には「約百六十四粁(實測八六浬)で、」という文言が入っていた。
というわけで、このような検閲がどこまで実効性を持っていたのかは疑問だが、そういう検閲をしても、ソ連と国境を接する樺太への観光旅行という遊興行為そのものは本書が推奨していたというのが興味深い。さすがに国境へ行くバスの運行情報などはカットされているが、国境付近の町に旅館があることなどは昭和15年版にもそのまま掲載されている。行けと言っているのか、行くなと言いたいのか、ガイドブック編集者の苦しい立場も窺える。
《100年のアジア旅行 小牟田哲彦》前回
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