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第562回 民衆に溶け込む故平山郁夫画伯 直井謙二

第562回 民衆に溶け込む故平山郁夫画伯 直井謙二

第562回 民衆に溶け込む故平山郁夫画伯

8月末の朝日新聞の天声人語によれば日本画家の故平山郁夫画伯が1968年にアフガニスタンを訪れバーミアン遺跡の大石仏を描いたおり、立ち寄ったバザール(市場)でパン屋の主人を写生したという。シルクロードの要衝だったアフガニスタンは、かつては穏やかな日々が続いていたことを連想させるスケッチだった。

その約20年後の1989年11月、楼蘭を描く平山郁夫画伯のスケッチの様子をドキュメンタリー番組にするため画伯や考古学の専門家らに同行したときのことを思い出した。調査には早稲田大学の考古学者の故桜井清彦教授や中国文学の北海道大学中野美代子教授らが同行した。学会をリードする専門家に囲まれていたためか、出発時は緊張していた。途中でタクラマカン砂漠のオアシス都市コルラのバザールに寄った。

人懐こいウイグル族のバザールはどことなく日本の雰囲気を漂わせていた。焼き芋が売られている露店があったので全員で試食すると、笑顔がこぼれ初対面の緊張が一掃された。

 

平山画伯は画用紙と鉛筆を常に携帯していた。身振り手振りでウイグル族のおじいさんとコミュニケーションをとり、おじいさんのスケッチを始めた。周りに人だかりができ、おじいさんは笑顔でモデルを引き受けた。(写真)スケッチが終わると作品をおじいさんや見物人に見せ拍手を浴びていた。

平山画伯はシルクロードを描くことをライフワークにしていたが、シルクロード沿いに点在する遺跡を描くとともにその地に暮らす民衆もスケッチしていた。スケッチを通して古代からシルクロードを生活の基盤としてきた民衆との交流も続けてきた。その後取材したアフガニスタンのカンダハルのタリバン兵も新疆ウイグル自治区のコルラの民衆も親切だった。残念なことにどちらも現在は厳しい状況に置かれている。

1979年の旧ソビエトの侵攻でアフガニスタンは内戦となった。その後タリバンが政権を樹立したが、タリバン政権が擁護したアルカイダによる大規模なテロをきっかけにアメリカがアフガニスタンに侵攻をはじめる。20年後にアメリカ軍が撤退しタリバン政権が復活したが、混乱は収まらず再び内戦の危機が懸念されている。一方、習近平政権は「ウイグル人は中国民族である」と述べ中国化を進めていている。

取材に入った1989年には少なかった漢民族の入植も増え、ウイグル族自身の風習や宗教の維持が懸念される。両民族ともに温かく迎えてきた異邦人から圧迫を受けていて民衆の表情は厳しい。平山画伯が描いた笑顔はいつ戻るのだろうか。

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