1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 第560回 アフガニスタン紛争とベトナム戦争(下)直井謙二

記事・コラム一覧

第560回 アフガニスタン紛争とベトナム戦争(下)直井謙二

第560回 アフガニスタン紛争とベトナム戦争(下)直井謙二

第560回 アフガニスタン紛争とベトナム戦争(下)

アフガニスタンからアメリカ軍が撤退に追い込まれた原因もベトナム戦争のケースに似ている。現地政府もアメリカ軍もアフガニスタン市民の支持を得られなかった。ベトナム戦争同様、慣れない異国の地に派遣されたアメリカ兵の恐怖は大きい。近代兵器に頼り、何とか生き延びて祖国に帰ることを願うアメリカ兵は、誤爆や誤射を繰り返していた。どちらも泥沼の戦いが20年も続き、アメリカは国内の厭戦気分と巨額の戦費に耐えられなくなった。

タリバン政権の崩壊で殺害された故中村哲医師らの努力が台無しになり、再び女性をはじめ人権侵害が始まるとの懸念が強まっている。紛争前に比べ国際感覚を身につけたタリバン政権に望みを託したい。

アメリカと戦った北ベトナム市民もタリバン兵士も、直接会ってみると想像以上に人情が厚いと感じた。1992年、ベトナムのホーチミンルートで戦った民兵のガイドでチョンソン山脈の山奥を通るルートをたどりテレビのドキュメンタリー番組を制作した。


取材の途中に立ち寄った兵士の共同墓地では、ガイドの民兵は戦友の墓を見つけ大声で泣いた。(写真)南の解放軍の女性リーダー、グエン・ティ・ディンさんにインタビューをおこなった。軍のリーダーという先入観とは裏腹に、街角の市場で見かけるおばちゃんと少しも変わらない人柄であったことはすでに書いた。北ベトナムの印象が変わった。

一方、南西部の都市カンダハルで3泊4日の取材をしたのは2000年のミレニアム直前だった。ハイジャック事件が起き、日本人女性も人質になった事件の取材だ。定期便は飛んでいなかったため国連の臨時便に同乗させてもらった。

内戦で崩れたカンダハルの空港の滑走路にハイジャックされたインド航空機が駐機していた。急な取材だったので食料も着替えもない。夜は零下5度に下がる空港の床に寝転んでの宿泊だった。タリバン兵がナンとミカンを用意してくれた。夜、寒さに震えながら横になっていると発砲スチロールの板を持ってきてストーブのそばに置き、ここで寝ろと指示された。遠来の旅人をもてなす古代シルクロードの要衝の地だとの思いが浮かんだ。取材後ミレニアムの初日の出をタリバン兵士と並んで眺めた。

ベトナム戦争が終わってほぼ半世紀が経った。いまアメリカと経済成長したベトナムは関係が改善している。戦争直後には考えられなかったことだ。ベトナム戦争と同様20年間戦ったアメリカと柔軟になったタリバン政権が半世紀後に現在の米越関係のようになっていると期待したい。

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回  
《アジアの今昔・未来 直井謙二》次回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》の記事一覧

タグ

全部見る