第4回 百年に一度の大変局に主体的対処 加茂具樹
第4回 百年に一度の大変局に主体的対処
習近平指導部は、新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)のグローバルな感染拡大が、既存の世界の枠組みに影響をあたえている、という理解を示している。この認識は、今後の中国の対外行動を理解するための重要な手掛かりとなる。
Ⅰ.「世界格局」と「国際秩序」
「感染症の蔓延は、世界の枠組み(中国語:「世界格局」)に大きな影響をあたえている。わが国の安全と発展は深刻な影響を受けている。最悪の事態を想定し(中国語:「堅持底線思維」)、訓練して戦いに備える取り組みを全面的に強化し、様々な複雑な状況に迅速かつ有効に対処し、国家の主権、安全、発展の利益を断固守り、国家の戦略的、大局的安定を維持しなければならない」(1) 。習近平国家主席は、5月末に開催された全国人民代表大会(以下、全人代)において、人民解放軍と人民武装警察代表団の会議に出席した際、このように述べていた。
習近平が、感染症の蔓延は「世界格局」の流動化を促す可能性を内包しているという国際情勢認識を示したこと、同時に、それが「わが国の安全と発展にとっても深刻な影響をあたえている」という国内情勢認識を示したこと、この結果、「最悪の事態を想定(堅持底線思維)」して備えるだけでなく「様々な複雑な状況に迅速かつ有効に対処する」という活動方針を示したことは、人々の注目を集めた。
「世界格局」という中国語を世界秩序と翻訳すると、「国際秩序」という中国語の日本語訳と混同する。「世界格局」と「国際秩序」は異なる概念である。「世界格局」は、政治的な力(パワー)が均衡している状態(パワーのバランスがとれて安定している状態)を指す。そして「国際秩序」は、国際政治のアクター(行為主体)間に存在するゲームのルールのことをいう(2) 。本稿は、「世界各局」を「世界の力の均衡」あるいは「世界の枠組」と訳しておく。
現在の指導部は、「世界格局」と「国際秩序」という二つの概念を組み合わせた国際情勢認識を示している。それが「百年に一度の局面の大きな変化(百年未有之大変局)」という言葉である。世界の力の均衡が変化し(「世界格局」が変化し)、その結果として、ゲームのルールが変化する(「国際秩序」の変化)という、大きな局面の変化に国際社会は直面している、というのである。
「百年未有之大変局」という言葉は、2017年12月に開催された2017年度駐外外交使節会議において習近平がおこなった演説が、初出である(3) 。それ以来、徐々に、中国政治外交に関する重要な概念として共産党内で認知された。そして、これが、共産党の国際情勢認識として確認されたのが昨年10月に開催した共産党第19期中央委員会第4回全体会議(以下、19期4中全会)である。会議は、この国際情勢認識を踏まえて、「中国の特色ある社会主義制度の堅持と整備、国家の統治体系と統治能力の近代化についての若干の重大な問題に関する党中央の決定」(以下、「決定」)を採択した(4) 。
この「決定」を起草した経緯と背景を説明した習近平中央総書記による署名記事がある(5) 。この記事によれば、「決定」の目的は、社会主義制度の改善と、国家の統治体系と統治能力の近代化の方針を示すことにあった。では、なぜこの方針を「決定」として取りまとめる必要性があったのか。習近平署名の記事は、世界に「百年に一度の局面の大きな変化が生じ、国際情勢が複雑に目まぐるしく変化している」なかで、共産党がこうした「リスクと挑戦に対応し、主導権を手に入れるために力強い保証が必要だったから」、と説明していた。
こうした理解を踏まえて、習近平が人民解放軍と人民武装警察代表団にむけておこなった演説を読み直すと、この発言の重要性は一層に明確になる。演説をつうじて習近平は、COVID-19の感染拡大が、「世界格局」に影響をあたえ、玉突き的に「国際秩序」の変化を促す契機、すなわち「百年未有之大変局」を生む要因となった、という認識を示していた。後述するように、昨年10月の時点での指導部の認識は、今日の国際社会が「百年未有之大変局」を迎えようとしている、であった。それから7ヶ月後に習近平は、より一歩踏み込んだ「わが国の安全と発展は深刻な影響を受けている」、という認識を示したのである」。つまりCOVID-19の感染拡大が「百年未有之大変局」を加速させたというのである。
Ⅱ.習近平の言葉から党の言葉へ
世界は「百年に一度の局面の大きな変化(百年未有之大変局)」に直面している、という国際情勢認識が、習近平個人の言葉から、党の国際情勢認識として確認されてゆく過程を確認してみたい。
前述のとおり、「百年未有之大変局」は、2017年12月28日に開催された2017年度駐外使節会議において、習近平によって初めて提起された概念であった。その後、およそ2年の時間を費やして、党内でコンセンサスを得て、共産党の国際情勢認識となった。
駐外外交使節会議の後、習近平は、「百年未有之大変局」を2018年6月22日と23日に開催された中央外事工作会議において、外事工作に従事する関係者に対して披露した(6) 。さらに習近平は、2019年1月21日に共産党中央党校にて開催された省部級主要領導幹部が出席するセミナーにおいて再度提起したうえで、「百年未有之大変局」という状況下において取り組むべき課題を示した(7) 。それは、発生の確率は低いけれども、万が一発生したら大きな影響をおよぼすリスクである「ブラックスワン」と、確率は高くまた発生した場合は大きな問題をもたらすにもかかわらず軽視されているリスクである「灰色のサイ」といったリスクを未然に防ぐために備えることであり、そして「危機をチャンスに変えるために戦略的で主体的な行動を選択する」こと、であった。
この後、「百年未有之大変局」という国際情勢認識は、8月30日に開催された中央政治局会議の議題に上がった。報道によれば同会議は、次の様な情勢認識と、それへの対処方針を確認していたという。情勢認識とは、建国以来の70年間、共産党は人民を指導し、毛沢東によって中華民族は「立ち上がり」、鄧小平によって「豊かになり」、そして「強くなるという偉大な飛躍」を経験してきたということと、いま中国は「百年に一度の局面の大きな変化」を経験している世界のなかにいる、である。そして対処方針とは、現状が共産党に突きつける「さまざまなリスクと挑戦に打ち勝つ」ために「中国の特色ある社会主義制度の堅持と整備、国家統治体系と統治能力の近代化を推進するために大きく努力する」ということである(8) 。こうして「百年未有之大変局」という国際情勢認識は、中央政治局レベルで共有されたのである。そして、8月の中央政治局会議で確認した対処方針の具体的中身が、10月の19期4中全会で確認された「決定」ということになる。
なお習近平は、中央政治局会議の直後の9月3日に開催された、共産党中央党校にて中青年幹部が出席するセミナーに出席し、再度、「百年未有之大変局」を提起し、「主体的に闘争を展開する」ことの必要性を訴えた(9) 。
2017年12月の駐外使節会議から2019年10月の19期4中全会までの過程には、二つの意味がある。一つは習近平が提起した言葉が、理論的に整理され、発展してゆく過程である。いま一つは、習近平個人の言葉を党内に向けて周知(説明)し、党の総意として共有する時間である。習近平がある概念を発したとしても、それが直ぐに党全体で共有されるわけではない。習近平の発言は、手続きを踏むことで、ようやく、党の概念としての地位をあたえられるのである。習近平指導部は、「習近平同志を核心とする党中央の権威と集中統一領導の擁護」や「党政軍民学、東西南北中、党は一切を領導する」というスローガンを掲げている。たしかに習近平は共産党内において権力を独占している。しかし、その権威は「手続き」(=制度)に支えられているようにみえる。現指導部は習近平への集権するための制度を設計してきたけれども、その権力と権威は、制度から自由ではなさそうである。習近平に集中しているようにみえる権力と権威を、どの様に理解するのか。これは中国政治をめぐる重要な論点といえる。
Ⅲ.「危機をチャンスに変えるための主体的な行動」とは何か
「百年未有之大変局」という国際情勢認識を踏まえて、習近平指導部が示している対処方針が「危機をチャンスに変えるために主体的に行動する」である。19期4中全会は、そのための具体的な取り組みを「決定」として示した。
そして、5月末に開催された第13期全人代第3回会議、そして6月に2回開催された全人代常務委会議第19回会議と第20回会議を経て立法された香港特別行政区国家安全維持法(香港国家安全維持法)は、19期4中全会で確認した、「危機をチャンスに変えるための主体的な行動」であった。
19期4中全会が採択した「決定」には、「特別行政区における憲法および基本法の規定を実施するための制度とメカニズムを改善し、愛国者を主体とする「港人治港」、「澳人治澳」を堅持し、特別行政区の法に基づくガバナンス能力と水準を高める」という、香港国家安全維持法を想起させる方針がすでに示されていた。全人代常務委で採択された香港国家安全維持法の審議理由説明は、同法は19期4中全会の精神を踏まえて起草されたと説明している(10)。
香港国家安全維持法の立法は、「百年未有之大変局」の姿を香港に確認した指導部が選択した、「危機をチャンスに変えるための主体的な行動」と整理できる。しかし、「主体的行動」の全体像は未だ不明確である。
指導部が、躊躇することなく「主体的行動」を選択することはわかった。問題はその先である。「百年未有之大変局」という情勢認識にもとづく、具体的な対外行動の一端は、対香港政策や、対米政策に見えている。指導部が、「百年未有之大変局」後に対して強い不透明感と不安全感を抱いていることは理解できた。しかし国際社会が強い関心を持っていることは、「百年未有之大変局」後に流動化した「世界の枠組み」と、その結果、あらたにかたちづくられる「国際秩序」を、指導部はどのように描いているのかであろう。そのためには中国国内の外交サークルの議論を今後丁寧に追跡する必要がある。どうやら、いまのところ論点が一つに集まったわけではなさそうである。
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(1)「在常態化疫情防控前提下扎実推進軍隊各項工作 堅決実現国防和軍隊建設2020年目標任務」『人民日報』2020年5月27日。
(2)この定義は以下の文献を参考にした。毛里和子『現代中国外交』岩波書店、2018年、32-33頁。趙磊「従世界格局与国際秩序看“百年未有之大変局”」『中共中央党校(国家行政学院)学報』第23巻3期(2019年6月)、114-121頁。川島真「習近平政権下の外交・世界秩序観と援助」川島真・遠藤貢・高原明生・松田康博『中国の外交戦略と世界秩序――理念・政策・現地の視線』昭和堂、2020年、53-77頁。また、改革開放40年を記念して『人民日報』紙に掲載された「改革開放大事記」は、「1989年」について次のように説明している。「年初、東欧のポーランドとソ連邦ではじまった社会混乱は、20世紀90年代初めに、ソ連邦、ユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、東ドイツ、チェコスロバキア、アルバニアなどの社会主義国家の政治と経済制度に根本的な変化をもたらした。ソ連邦は解体し、東ドイツは西ドイツに統合された。こうして第2次世界大戦後に形成された世界の枠組み(世界格局)は大きく変化した」。「改革開放四十年大事記」『人民日報』2018年12月17日。
(3)「接見二〇一七年度駐外使節工作会議与会使節併発表重要講話」『人民日報』2017年12月29日。
(4)「中共中央関于堅持和完善中国特色社会主義制度 推進国家治理体系和治理能力現代化若干重大問題的決定 (2019年10月31日中国共産党第十九届中央委員会第四次全体会議通過)」『人民日報』2019年11月6日。
(5)習近平「関于《中共中央関于堅持和完善中国特色社会主義制度 推進国家治理体系和治理能力現代化若干重大問題的決定》的説明」『人民日報』2019年11月6日
(6)「堅持以新時代中国特色社会主義外交思想為指導 努力開創中国特色大国外交新局面
」『人民日報』2018年6月24日。
(7)「提高防控能力着力防範化解重大風険 保持経済持続健康発展社会大局穏定」『人民日報』2019年1月22日。
(8)「決定招開十九届四中全会」『人民日報』2019年8月31日。
(9)「発揚闘争精神増強闘争本領 為実現“両個一百年”奮闘目標而頑強奮斗」『人民日報』2019年9月4日。
(10)「法制工作委員会負責人向13届全国人大常委会第十九次会議作関与《中華人民共和国香港特別行政区擁護国家安全法(草案)》的説明」『新華網』2020年6月20日http://www.xinhuanet.com/legal/2020-06/20/c_1126139511.htm
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