第3回 党は誰と感染症を押し返したのか 加茂具樹
第3回 党は誰と感染症を押し返したのか
誰が、どの様に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と対峙してきたのか。5月末に開催された全国人民代表大会(以下、全人代)において、李克強国務院総理がおこなった政府活動報告(以下、報告)は、この問いに対する習近平指導部の答えを示していた。これは、COVID-19がグローバルな感染拡大した後の国内情勢に対する指導部の認識を理解するための重要な手掛かりとなる。
Ⅰ.習近平と党中央。そして「社会各方面」
3月5日に開催が予定されていた第13期全人代第3回会議は、2ヶ月半の延期を経て、5月22日に開催された。延期を決定した2月24日の全人代常務委員会は、その理由を「中国国内で爆発的に拡散した新興感染症を封じ込める作戦を優先するため」、「人民大衆の生命の安全と身体の健康に大きく影響することを防ぐ必要があるため」、と説明していた (1)。5月末に全人代を開催すると指導部が決断したことは、COVID-19との対峙という「作戦」において、一定の成果を得たと判断したからであろう。
では指導部は、誰が、どの様にCOVID-19を押し返したと理解しているのだろうか。中国政治の文脈を踏まえれば、もちろん押し返したのは共産党であり、習近平中央総書記である。しかし、李克強国務院総理がおこなった報告は、そうした「お決まりの」理解とは異なるCOVID-19との対峙の構図を示していた。
李克強の報告は、COVID-19の発生を、建国以来、中国が見舞われた「最も蔓延の速度が早く、最も感染範囲が広く、最も防止と抑制が難しい公衆衛生事件」であって、「習近平同志を核心とする党中央の力強い指導の下、国を挙げて広範な人民大衆が壮絶な努力と犠牲を払った結果、感染症対策は大きな戦略的成果をおさめている」と総括した (2)。なお報告は、「COVID-19はいまなお終結しておらず、発展の任務はきわめて重い」と述べ、指導部は、これからも引き続きCOVID-19と向き合うという決意を示していた。持久戦である。
まず報告は、典型的なCOVID-19との対峙の構図を述べていた。「COVID-19の発生後、共産党中央は感染症対策を最重要課題としてとらえ、習近平総書記が自ら指揮を執って、自ら配置し、人民の生命の安全と健康を第一に掲げることを堅持した」。習近平と共産党中央がCOVID-19との対峙の正面を張ってきた、というのである。
そのうえで報告は、中央と地方の共産党と政府、そして社会が一丸となって協力してCOVID-19と押し返した、と述べた。具体的には、臨時に設置された共産党の政策立案と調整組織である「中央新型コロナウイルス感染肺炎疫病対策領導小組(中央新型肺炎領導小組)」と、中央新型肺炎領導小組の前線指揮組織として武漢に設置された「中央新型コロナウイルス感染肺炎疫病対策領導小組指導組」、そして中央と地方の政府系統の指揮命令の中枢を担った国務院の政策調整組織である「国務院新型コロナウイルス肺炎流行の予防と管理のための共同対策業務メカニズム(国務院應対新型冠状病毒感染的肺炎疫情聯防聯控工作機制)」が、統一的な調整をはかってCOVID-19と向き合い、これを「社会の様々な行為主体(社会各方面)」が全力で支援して、「感染症対策の人民戦争、総力線、阻止戦を繰り広げた」という。
ここで報告が、COVID-19と対峙したアクター(行為主体)として、「社会各方面」に言及したことが興味深い。「社会各方面」の活動について報告は、「広範な医療関係者が勇敢に奮闘し、人民解放軍の将兵が勇敢に重責を果たし、科学技術者が協力して難関攻略に取り組んだ」と述べていた。さらに報告は、「コミュニティーワーカー(社区工作者)、警察官、末端幹部、報道とメディア関係者、ボランティア(志願者)がそれぞれの役割をしっかりと全う」したこと、「配達員、清掃員、感染対策物資の生産者と輸送者が「苦労を厭わず」に活動したと述べていた。
報告が、「コミュニティーワーカー(社区工作者)、警察官、末端幹部、報道・メディア関係者、ボランティア(志願者)」に言及したことには、非常に重要な意味があるだろう。この意味を理解するために、自然災害と対峙してきた過去の共産党指導部が、対峙の構図を政府活動報告のなかでどの様に描いてきたのかを比較してみるとよい。
Ⅱ.SARS、汶川大地震、COVID-19
中国は、繰り返し大きな自然災害に見舞われてきた。1949年以降の中国において、そうした自然災害との対峙の主役は、もちろん一貫して共産党であった。2003年4月に中国で猛威を振るったSARS(重症性呼吸器症候群)後に開催された全人代(2004年3月)での報告は、この自然災害に対して共産党がどの様に対峙したかを語っていた。そして2008年5月の四川汶川大地震後に開催された全人代(2009年3月)での報告も同様に、どの様に対峙したかを語っていた。
2004年の報告は、「共産党中央と国務院が国民の健康と安全を第一に考え、SARSの感染拡大防止と治療のために尽力した(党中央、国務院把人民群衆的身体健康和生命安全放在第一位、及時研究和部署防治非典工作)」こと、そして「国務院と地方政府が『防治非典指揮部』を設置し、人的、物的、財政的資源の統一的な分配と配置をおこなって、都市部と農村部の基層組織が積極的に活動することを促し」たこと、そうすることで「緊張感をもちながらも整然と活動を展開した」と述べていた (3)。
2008年5月に発生した四川汶川大地震においても同様であった。震災後に開催された全人代の報告は「共産党と国務院の強力な領導のもと(在党中央、国務院堅強領導下)、全国の各民族と人民、特に被災地の人々は団結し、人民の子弟である兵士たちは団結して目的を達成した。中国史上最速の救援、広域動員、最大規模の地震救援闘争を展開した」 (4)と述べていた。
興味深いことに、2020年の政府活動報告にあって、2004年と2009年になかったものがあった。それは、「社会の様々な行為主体(社会各方面)」への言及である。前述のとおり2020年の報告は、COVID-19と戦ったのは、習近平と共産党中央だけではない、と語っていた。習近平と共産党中央(そして国務院)は、医療従事者、軍、科学技術者、警察官、末端幹部、報道とメディア関係者、ボランティア(志願者)、配達員、清掃員、感染対策物資の生産者と輸送者とともに、COVID-19と対峙したというのである。彼らは、2004年のSARS後の政府活動報告にも、2009年に四川汶川大地震後の政府活動報告にもなかった。
Ⅲ.民間力量
中国国内で報じられていたように、都市部における感染症対策を実施する過程で、その末端(草の根レベル)の自治組織である居民委員会や社区が重要な役割を発揮していた (5)。「封城」(都市封鎖)によって滞った医療物資や生活必需物資の支援や流通には、数多くのボランティアをはじめとする「民間力量」が重要な役割を発揮したと報じられている。
COVID-19との対峙は公衆衛生問題である。この過程において、「公衆」(=社会)が重要な役割を担っているということは、中国においても認識は共有されている。『財新』誌に掲載された社説「公共衛生は民間の力量を重視しなければならない」は、上海市の『伝染病防治管理法』第22条が社会の参画を促し、民間の力を鼓舞して、ボランティア方式を積極的に活用することを規定していることを例に挙げて、伝染病の蔓延防止のための(治療)活動に「公衆」が関与する意識をもつことは重要だと読者(=中国社会)に訴えていた (6)。
2020年の政府活動報告がコミュニティーワーカーやボランティアという行為主体に言及した理由は、二つあるように思える。一つは習近平指導部が感染症を押し返す過程で「民間力量」が重要であることを自覚し、今後持久戦を展開するためには彼らの継続的な関与が必要だという意識を強めたから、という見方である。COVID-19との持久戦において指導部は、習近平の指導力と共産党の役割の大きさを繰り返し喧伝してはいるが、現実には自らの中国社会における力量は相対化的なものだと自己認識しているのかもしれない。
いま一つには、これとは真逆の理解である。指導部は、近年、都市部の社区を社会管理の基層単位(末端組織)として位置付け、社区を通じた共産党による社会管理の徹底を促す方針を示している (7)。そうした管理のメカニズムがCOVID-19を押し返す過程で、重要な役割を担ったのは事実だろう。したがって政府活動報告がコミュニティーワーカーやボランティアの存在を強調したのは、指導部が、彼らを使いこなして社会に対する管理を徹底できているという自信に後押しされたからなのかもしれない。あるいは今後も一層徹底するという決意の表明であったのかもしれない。
いずれにしても指導部は、COVID-19の感染爆発への対処という公衆衛生問題と対峙し、当面、持久戦を堅持しなければならない。指導部にとって、そのカギは社会の草の根レベルの積極的な関与を促し、同時に社会の草の根レベルへの管理の強化と徹底である。それは、指導部にとっては支配を維持するためのコストの上昇を意味するだろう (8)。共産党が経済改革の道を選択して以来、中国社会は急速に多元化した。そして通信技術の発展にともない社会は自らの要求を訴える手段を手にした。指導部は、多様化し、主張を強くする声を、集約して調整して、社会が納得する共通認識(コンセンサス)を見つけ出し、そこをめがけて政策決定をしなければならない。指導部は、多様化し、大きくなる社会が発する要求を調整する能力の向上とともに、不協和音を発する社会を管理(=統制)する能力の強化にも取り組むことになる。
権力を関係概念でとらえるのであれば、治者(共産党)の権力が被治者(社会)に権威として認められると支配が確立する。これまで共産党による一党支配が持続してきたのは、社会が積極的であろうと、消極的であろうと、共産党の権威を受容(=支持)してきた、からである。では、これからも共産党は社会からの支持を取り付け続けることはできるのだろうか。COVID-19との持久戦を展開するために習近平指導部は、今後、一層「民間力量」との接点を求められる。指導部は一元的な政治と多元的な社会との間の摩擦に囚われることになる。COVID-19後の中国政治は、指導部が感じる国内情勢に対する不安定感を中心的な懸念として密接に結びつけられてゆくであろう。
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(1) 「人大常委会決定適当推遅召開十三届全国人大三次会議」『人民日報』2020年2月25日。
(2) 「政府工作報告 ――2020年5月22日在第十三届全国人民代表大会第三次会議上 国務院総理李克強」『人民日報』2020年5月30日。
(3)「政府活動報告 ――2004年3月5日第十届全国人民代表大会第二次会議上 国務院総理 温家宝」『人民日報』2004年3月17日。
(4)「政府活動報告 ――2009年3月5日第十一届全国人民代表大会第二次会議上 国務院総理 温家宝」『人民日報』2009年3月15日。
(5)「重大突発公共衛生事件中、慈善組織該如何作用」『財新網』2020年2月1日、http://opinion.caixin.com/2020-02-01/101510245.html?sourceEntityId=101518882。「救武漢、社会自助網絡這様織成」『財新周刊』2020年第7期、2020年2月24日、http://weekly.caixin.com/2020-02-22/101518909.html 。「物資馳援過難関」2020年第7期、2020年2月24日、http://weekly.caixin.com/2020-02-22/101518914.html 。「社論 公共衛生須重視民間力量」『財新周刊』2020年2月22日、 http://weekly.caixin.com/2020-02-22/101518882.html。
(6)前掲『財新周刊』2020年2月22日掲載記事。
(7)「授権発布:中共中央 国務院関与加強和完善城郷社区治理意見」『新華網』2017年6月12日http://www.xinhuanet.com//politics/2017-06/12/c_1121130511.htm
(8)たとえば、孫春蘭国務院副総理、中央新型コロナウイルス感染肺炎疫病対策領導小組指導組組長は3月5日に武漢市の社区を視察した際、住民から「(あなたがいま視察しているものは)偽物だ」と訴えられたという。肺炎疫情:肺炎疫情:武漢居民向中央高官孫春蘭挙報政府抗疫工作有假『BBC中文』2020年3月6日、https://www.bbc.com/zhongwen/trad/chinese-news-51769104 。孫の視察は、「抓好社区防控 保障群衆居家生活」『人民日報』2020年3月6日。
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