第628回 ミャンマーの窓、ミャワディ 直井謙二
ミャンマーの窓、ミャワディ
タイ国境に接する村、ミャワディはミャンマー情勢を垣間見ることができる数少ない村だ。クーデターで軍政が政権を奪取して2年以上がたちミャンマー国軍が苦境に立たされているという情報が錯綜する。去年の10月、民主化勢力と少数民族が協力して組織化したミャンマー民族民主同盟(MNDAA)が国軍に大打撃を与え、ミン・スエ暫定大統領は国が分裂するとの危機感をあらわにした。さらに兵力不足を補うため今年2月徴兵制を導入すると発表するが、劣勢は依然として続いているという。夏には高齢に配慮し民主化指導者スーチー氏を拘置所から出して転居させたとも報じられ、民主化勢力との話し合いの突破口を開こうとする動きとの見方もある。
一方、国連薬物犯罪事務所(UNODC)によると2023年の薬物の生産量はタリバン政権の取り締まり強化などでアフガニスタンを抜きミャンマーが世界一になったという。少数民族の資金源が増えたと思われる。しかしこれまでカレン族やシャン族の支配地区で取材した経験では少数民族の兵力が国軍を圧倒するとは想像できなかった。ましてや1988年のミャンマーの騒乱以来、圧倒的な軍事力で民衆を制圧する様子ばかりを見てきた記憶からすれば国軍劣勢のニュースは意外だ。
ミャンマーの取材は軍政が取材ビザを規制していることや騒乱状態で何人かのジャーナリストが死亡していることなどから現場に深く入ることが難しい。ミャンマーを覗くことができるのはタイ国境に隣接する小さな村ミャワディだ。
ミャワディの対岸はタイの人口10万の都市メーソートだ。豊富なタイの物産を輸入する窓口であり、職を求めて多数のミャンマー人が国境の川を渡ってタイ側に入国してくる。メーソートからはミャンマーの国旗や人々の生活を垣間見ることができる。(写真)
1988年、ミャンマーの騒乱状態時も、軍政は平静を装い国営放送は全く騒乱に触れず軍が社会に貢献しているとの宣伝放送ばかりだった。タイ側から川向こうを見るとスピーカーを乗せた車がシュプレヒコールを流し、後ろにデモ隊が従っていた。騒乱が全国に広がっているとの確信を持った。
4月、ミャワディで武装勢力と国軍が交戦、国軍の兵士200人が敗北しタイとつながる橋付近に撤退したという。ミャンマー全土で国軍が追い込まれている証拠とみてよいだろう。国連開発計画(UNDP)は長引く戦闘で貧困の急増と中産階級が50%に縮小したと発表した。再びミャンマーが最貧国に陥る懸念がある。
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