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第39回 ベトナム国営通信社のこと 伊藤努

第39回 ベトナム国営通信社のこと 伊藤努

第39回 ベトナム国営通信社のこと

以前、ベトナムの首都ハノイにあるベトナム国営通信社の本社を訪ね、同社幹部と懇談したことがある。同国は1986年にスタートさせた「ドイモイ」(刷新)政策に基づいて従来の計画経済を改革・開放に舵を切り、市場経済化に乗り出したが、共産党一党支配の社会主義国家であることに変わりはない。その国の国営通信社ということであれば、報道機関としての役割もさることながら、国家の政策や方針を広報・宣伝するのも重要な仕事ということになる。

懇談相手の幹部諸氏はそんな社会主義イデオロギーで武装した堅物の方々かなと想像していたら、一人ひとりは記者出身らしい好奇心旺盛な性格の人が多かった。同業者としての親近感もあったようだ。お会いした時よりも20年余り前のベトナム戦争時の仕事に話が及ぶと、米軍との戦闘現場近くの塹壕にこもって戦況の原稿や写真を本社の編集担当者に送ったりしていた活躍ぶりのあれこれを語ってくれた。本社内には、ベトナム戦争時代の通信社記者やカメラマンの仕事ぶりを撮影した古びた写真も展示されており、戦場記者ならではの緊張感が伝わってきた。

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ベトナム戦争当時の北ベトナムの主力戦車

ベトナムと言えば、統一前の北ベトナム時代も、国営メディアということで、共産党機関紙のニャンザンとベトナム通信社、ハノイ放送がそれぞれ同国の公式情報をもっぱら西側世界に伝えていた。国営メディアの権威は大きなものがあったが、市場経済化が進むにつれ、報道・情報流通の分野も変革の嵐にさらされ、ベトナムでも多種多様なメディアが誕生した。ベトナム通信社を訪ねたのはその頃で、経営面ではインターネットへの参入や記事配信先の開拓など新規事業に着手する必要性に迫られていた。

同じ社会主義国だった盟主のソ連では国が解体してしまったばかりか、日本人にも馴染みの深い国営タス通信社や共産党機関紙プラウダは今や往時の面影をとどめぬほどに姿を変えてしまった。それと比べると、ベトナムの国営メディアはまだ健闘している。

懇談の席でもう1つ強く印象に残ったのは、自主独立の気概が強いことだった。かつての北ベトナムの何十倍も大きな国力がある米国との戦争に勝ったのだから、当然と言えば当然だが、自主独立の気風が強いと、経済発展の分野ではマイナスに作用することがある。近隣のタイが外国資本・技術を積極的に導入して産業集積を高めたのに対し、ベトナムが大きな遅れを取ったのは、それが一因かもしれない。しかし、そのベトナムも2020年までの「工業国の仲間入り」を
目標に掲げ、近年は外資を積極的に活用する政策に転じた。経済発展のお手本は「モノづくり」で定評がある日本、と指導者が口をそろえる親日国家である。

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