1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 第7回 カンボジア現代史の鬼っ子 伊藤努

記事・コラム一覧

第7回 カンボジア現代史の鬼っ子 伊藤努

第7回 カンボジア現代史の鬼っ子 伊藤努

第7回 カンボジア現代史の鬼っ子

カンボジアで1970年代後半に起きたポル・ポト政権による国民の大虐殺を裁く特別法廷の公判が今年2月にスタートした。犠牲者が170万人以上という暗黒政治下の出来事をめぐる未曾有の裁判である。だが、政権の崩壊からすでに30年がたち、ポル・ポト元首相ら当時の指導者が相次いで死亡している中、訴追を待つ身の元最高幹部も高齢化しており、被害者の遺族らが望む真相の究明や公正な裁きが可能なのかどうか、懸念する声は少なくない。

カンボジアの現代史は騒乱と内戦の連続で、平和が訪れたのはわずか10年前にすぎない。大きな転機が、内戦の当事者だったゲリラ勢力で鬼っ子的存在のポル・ポト派の投降と、それに伴う同派の消滅だった。同国北西部の広大なジャングルを拠点に反政府武装闘争を繰り広げていたポル・ポト派は、ベトナムによるプノンペン侵攻で政権の座を追われて以降も20年近くにわたり命脈を保っていたわけだ。筆者が1990年代後半にバンコク特派員を務めていた際、カンボジアも守備範囲に入っており、当時まだ政情不安で揺れていた同国には何度も取材で訪れた。

第11回 伊藤努.jpg

談笑するポル・ポト兵と政府軍兵士

もちろん、中央政府に反旗を翻すポル・ポト派の動向は取材対象の1つだったが、同派の支配地区入りは安全上の問題もあって簡単なことではない。いつか、ゲリラ闘争を続ける同派の活動拠点をこの目で取材したいものだと思っていた矢先、1997年にようやくその機会が訪れた。イエン・サリ元副首相の影響下にあった部隊が投降することに同意し、支配地区の集落で投降式典を行うので、外国人記者の取材を認めるとのカンボジア軍の招請だった。

国境を接するタイ領内から車両でカンボジア入りし、政府軍陣地から輸送ヘリでポル・ポト派支配地区に入ったが、ヘリの眼下に広がる深い密林はゲリラにとっては格好の隠れ家になっていることが分かった。式典が行われる場所には、メディアには素顔をあまり知られていなかったポル・ポト派兵士が集まっており、政府軍兵士と歓談している光景には少し驚いた。敵と味方に分かれ、交戦を繰り返していた互いの兵士がこうも簡単に「和解」できるものなのか。それとも、双方に厭戦機運が極限近くに高まっていて、ようやく訪れた和平を喜び合っていたのか。

投降式典が行われた集落にいたのは短時間だったが、ポル・ポト派兵士か政府軍兵士かはひとめで見分けることができた。ゲリラ兵士がほぼ一様に貧相だったためで、資金や士気の面でも武装闘争を続ける限界が近づいていたことが見て取れた。
投降した将兵の多くは政府軍に編入されたが、この時に双方の指導者の間で交わされた秘密の取り決めが大量虐殺を裁く裁判での訴追に影響を与えているのではないだろうか。それが筆者の長年の疑問である。特別法廷設置後に逮捕された元最高幹部は4人にすぎず、その中で起訴された者はまだいない。

タグ

全部見る