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第6回 フィリピンの昨今  直井謙二

第6回 フィリピンの昨今  直井謙二

第6回 フィリピンの昨今

最近、日本で報道されるフィリピンのニュースが少ない。ごくまれに日本人が絡んだ保険金殺人や詐欺といったニュースが伝えられるだけだ。フィリピンのニュースが最も華々しく伝えられたのは1986年2月の「黄色い革命」だ。当時のマルコス大統領は権勢をほしいままに、軍を背景にした独裁と金権政治にまみれ、フィリピンの民衆からも、かつての宗主国アメリカからも支持を失っていた。この機に独裁政治を阻もうと、亡命先のアメリカから帰国したマルコス大統領の政敵、ベグニノ・アキノ元上院議員がマニラ国際空港で射殺された。

この事件の裏にマルコス大統領の指示があったのではないかとの疑惑が持ち上がり、民衆の支持を受けた妻のコラソン・アキノ夫人が大統領選に立候補した。前評判とは裏腹にマルコス大統領が当選したが、選挙に不正があったとして民衆が蜂起し、鎮圧に当たった軍も遂には民衆側に立ち、マルコス政権が倒れた。

この時代はテレビ技術が発達し、国際中継が容易にできるようになっていた。このため、アキノ氏殺害からアキノ夫人の立候補、選挙の不正、さらに民衆蜂起まで世界に中継された。アキノ大統領はマルコス大統領打倒に外国のメディアが貢献してくれたとして、外国人プレスを表彰した。(写真)


しかし、アキノ大統領はマルコス大統領の息のかかった官僚はもちろんのこと、技術者も職場から追い出してしまう。このため、電力をはじめとする産業は壊滅状態になってしまった。次に大統領となったラモス氏はフィリピン経済の立て直しに尽力したが、インフラ整備が追いつかず、国政運営は困難を極めた。この時、筆者はマニラに駐在し、冷房を前提とした窓が開かない高層マンションに住んでいたが、長時間にわたる停電に悲鳴を上げる毎日だった。

1990年代末、民放各社はマニラ駐在の特派員を撤収させた。その10年近く前に米ソの冷戦が終わり、フィリピンから極東最大のアメリカ軍基地が閉鎖されたことや、アジア各国が高度成長を遂げる中、フィリピンの経済が低迷したことなどが挙げられる。1990年代半ばの阪神淡路大震災やオーム真理教の地下鉄テロ事件などをきっかけに、日本人の関心が国内ニュースに移っていったことも影響している。

最近ではフィリピン女性の芸能人ビザの発給が厳しくなり、フィリピン・パブが減り、庶民レベルでもフィリピンの影が薄れている。しかし、フィリピンが日本の隣国であり、古くから行き来があった国であることに変わりはない。一過性の洪水のような報道よりも、息の長い地道な国際報道が必要だ。

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回  
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