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第21回 残された「東側の絆」:798芸術区 東福大輔

第21回 残された「東側の絆」:798芸術区 東福大輔

第21回 残された「東側の絆」:798芸術区

798芸術区は、北京の東北、ちょうど四環路と五環路に挟まれた位置にある。ここは大躍進運動に続く時代、中国とソビエトの関係が良好だった60年代初頭に東ドイツの技術者達を動員して造られた工場群である。毛沢東のスターリン批判によって両国関係が悪化したため、技術者たちは建設途中で帰国せざるを得なかったのだが、その後は中国人だけで完成させたという。長いこと町工場の集まるエリアになっていたが、現在はアート・ギャラリーやオシャレなカフェが集中する一大観光地に変貌を遂げている。

芸術区の中心には、リノベーションされた「798事態空間」がある。大きな天窓を備えたノコギリ屋根の下の広い空間は、今は展覧会やイベント・スペースとして使われている。また、天井には「毛沢東主席万歳」などの政治スローガンが書かれていて、中国に吹き荒れた文化大革命の痕跡を見ることができる。「この建物はバウハウスによるものだ」というもっともらしい噂がつけられているが、おそらく事実ではないだろう。だが、そんな根も葉もない噂に真実味を感じてしまうほどに、戦前ドイツのデザイン学校が追及したモダン・デザインの影響が感じられるのだ。

この建物群のアート・エリア化は、ゼロ年代の初めに、現代美術家の黄鋭(ホワン・ルイ)が自身のアトリエを構え、また東京の現代アート・ギャラリーの東京画廊がその隣にギャラリーを開いたのが始まりだ。ほぼ同時期に中国を代表する美術大学の中央美術学院もこの近くにキャンパスを開き、同校で教鞭をとっていた彫刻家の隋建国(スイ・ジェングォ)らもここで制作を始めた。つまり最初は、制作場所をもとめるアーティストたちが、安く、広く、高く、そして自然光の差し込む工場の空間を気に入って入居したのである。

筆者がここを初めて訪れたのは2004年の秋ごろだったが、まだ完全なアート・エリアとはなっておらず、ギャラリーとローカルの工場が入り混じっている状態だった。ギャラリーの隣のクリーニング工場には洗濯物が干され、庭ではビリヤード台が置かれて労働者たちがゲームに興じていて、その牧歌的な風景が強く印象に残った。ニューヨークのアート・エリアであったグリニッジ・ヴィレッジやソーホーでもみられた「ジェントリフィケーション(土地の高級化)」と呼ばれる現象が起き、この地域の賃料が高騰し始めたのはその直後のことである。今では、当初の立役者だったアーティストたちは北京の他の地域へと拠点を変えてしまい、ギャラリーの顔をした土産物店、高級な飲食店やカフェが立ち並ぶようになってしまった。

そのジェントリフィケーションが起こっている最中、グッゲンハイム財団を含む複数の団体が区域内の最大の建物の使用権を争っていた。最終的に競争を勝ちぬいたのはベルギー出身の中国美術コレクター、ガイ・ユーレンス率いる財団だった。美術館「ユーレンス現代美術センター」がオープンしたのは北京オリンピック前年の2007年のことで、建設当時のレンガを真っ白に塗りつぶしてしまった内装を指して「欧米的なアート・マーケットを中国に持ち込んでいる」との批判もされたときく。このころの中国の現代アートは次々とオークションでの落札価格を更新し、バブルを謳歌している頃だった。まさに欧米基準のアート市場に呑み込まれつつある最中だったのだから、無理もない。

実は、この地域は2006年に建物群を除却して行う再開発が予定されており、その数年前からアーティストらによる反対運動も行われていた。これに呼応するかのように北京市政府は保存へと方向転換したが、これをアーティストに味方する動きと考えるのは楽観的に過ぎるだろう。当局はオリンピック時の観光地として当区域を「使える」と考え、それにアーティスト達が「乗った」と考えるのが自然だ。「政治と対決するアート」の図式を捨てたかに見える北京のアート・シーン。これからの動きも注目される。


写真1枚目:798事態空間。天井には毛沢東を賞賛するスローガンが書かれている。
写真2枚目:ユーレンス現代美術センター。「ホワイト・キューブ」と呼ばれるシンプルな展示空間。
map:<798芸術区>
北京市朝陽区。地下鉄14号線「望京南」駅下車、徒歩10分(「高家園」駅開通後は当駅から徒歩5分)


 

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