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第550回 予想を外したミャンマーのクーデター(上)直井謙二

第550回 予想を外したミャンマーのクーデター(上)直井謙二

第550回 予想を外したミャンマーのクーデター(上)

今年2月、ミャンマーの国軍によるクーデターが起きた時、その後の二つのシナリオを予測した。一つは国際社会の圧力で軍政が民主化勢力との話し合いに応じざるを得なくなる。もう一つは国軍の弾圧で民主化勢力による反政府デモが鎮圧され、一部の民衆が少数民族の支配地区に逃れる。どちらにしても早期に事態が収拾されると考えられた。

ところが、予測は外れ不安定な状態が長期化している。しびれを切らした日本など外国企業の一部は撤退を始めた。軍政も予想を外し、焦っているように見える。

その原因は88年の学生による騒乱事件や90年総選挙の結果無視などで軍政の強引な弾圧が表向き功を奏した成功体験にありそうだ。88年8月の騒乱後、民政のマウンマウン政権が樹立されたが、翌月にはソウマウン将軍がクーデターを起こし軍政が復活、事態は沈静化した。

インドと中国という大国に挟まれ、イギリスや日本の支配を受け外国勢力に嫌気がさしたミャンマーは戦後ドアを半分閉め軍政を維持した。その結果、新自由主義経済に乗り遅れ国連から最貧国の烙印を押されたのだった。

88年の騒乱は鎖国中に起きた江戸時代の米騒動を想起させた。その時の騒乱で最も苦労したのはデモの映像の入手だった。報道関係者には取材ビザが出ないのでバンコクの駐在の商社マンらに頼み現地記者が撮影したVTRをバンコクまで運んでもらった。ミャンマー国境に近いタイのメソートに行き、竹の先にアンテナつけて川向うから飛んでくるミャンマー国営テレビを傍受するなど文字通りの竹槍作戦だった。(写真)

だがあれから30年経ってミャンマーは大きく様変わりした。現在はSNSを使って民衆の撮影したビデオが国際社会に流れ、これを取り締まる国軍の弾圧が厳しさを増している。映像を見ると若者のほとんどがジーパンにシャツ姿で民族衣装のロンジー姿は少数だ。

ここ数年、ある程度の民主化と自由な経済活動でアジア最後のフロンティア、ミャンマーに外資が流れ込み、経済成長が庶民の生活も向上させた。隣国タイが87年に始めた観光誘致はその後タイの高度経済成長のきっかけを作った。90年代半ば、軍政は隣国タイが成功した観光誘致に注目した。日本の航空会社もヤンゴンに乗り入れたが、乗客はおらずホテルで見かける搭乗員の表情も暗い。間もなく運航が中断された。

市中に立つ人形をあしらった巨大な観光誘致の看板が雨季の雨に打たれ寂しく建っていた。軍政はタイの成功を横目に期待したが、惨めな失敗には理由がある。

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