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第290回 鄧小平元総書記生誕110年と胡耀邦元総書記死去25年 直井謙二

第290回 鄧小平元総書記生誕110年と胡耀邦元総書記死去25年 直井謙二

第290回 鄧小平元総書記生誕110年と胡耀邦元総書記死去25年

今年は822日が鄧小平元総書記生誕110年、415日は胡耀邦元総書記死去後25年にあたる年である。中日友好協会の招待による日本のジャーナリスト訪中団に参加し、二人にゆかりのある土地である江西省・南昌市を訪ねることができた。

鄧小平氏は文革時代の1968年、走資派として全職を追われ、南昌市の農場などで過酷な労働を強いられた。一方の胡耀邦氏は南昌市郊外の丘に埋葬され、顔のレリーフが浮き彫りになっている三角形の墓碑が建てられている。(写真)南昌市は胡錦濤前総書記なども輩出した中国共産主義青年団発祥の地で胡耀邦氏が1953年から1978年の長期にわたり共青団の第一書記を務めたことから没後、墓碑が建立された。

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胡耀邦氏死去25年を前に胡錦濤前総書記が湖南省の生家を訪問したと香港紙が報じている。
胡耀邦氏は日本に対し融和政策を執った総書記としても知られ、中曽根元総理が靖国参拝を取りやめたあと「親日派である胡耀邦が中国共産党内の批判にさらされ、失脚するのはどうしても困る」と語ったという。中曽根元総理が贈った桜は墓苑のなかで大きく成長していた。現在の悪化した日中関係とは対照的な友好関係を保っていた。一方、今年4月には胡耀邦氏の長男である胡徳平氏が日本の外務省の招待で来日し、菅官房長官や岸田外務大臣と会談、8月には福田元総理が訪中するなど関係回復に向けての動きもあるが、中国は安倍政権が終わるのを待っているようだ。

広大な墓苑の一角にある胡耀邦氏の生前の写真や遺稿を展示した博物館を訪ねた。展示は胡耀邦氏の生前の写真で占められていたが、いくつかの遺稿も飾られていた。遺稿はどれも崩し字で書かれていて筆者にはなかなか解読できなかったが「利は天下に帰するものでどうして争う必要があるのか」という一筆が印象に残った。まるで日中の首脳に尖閣問題解決のヒントを与えているように感じた。利を尖閣諸島に置き換えれば、島は天下に帰するもので日中は争う必要などないと訴えているように思えた。

確かに最近の中国は大国主義も目立つが、中国は隣国であり中国の巨大市場を無視して日本の経済を語れない。そして中国は日本の技術に依存せざるを得ない。大局に立ち、島の問題を平和理に解決すべきだと胡耀邦元総書記が日中の双方の指導者に呼びかけているようにも受け取れた。胡耀邦氏が今も健在だったとしたら、中国の対日政策はどうだっただろうか。


写真1:献花が絶えない胡耀邦墓碑

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