第212回 ミャンマーで半世紀ぶりの民間日刊紙 直井謙二

第212回 ミャンマーで半世紀ぶりの民間日刊紙
2013年4月1日、ミャンマーで半世紀ぶりに民間の日刊紙が発行され、軍事政権下では到底望めなかった言論の自由が広がっている。まだ4紙だが新聞スタンドの前には長い列ができ、たちまち売れ切れになった。長い軍事政権の抑圧から解き放たれ、市民はむさぼるように新聞を読んだ。
1988年から2001年まで何度かミャンマーを取材したが、取材内容も憂鬱で暗いものばかりだった。デモは禁止され校内に封じ込められた学生が校外に向かってプラカードを掲げ、必死にミャンマーの民主化を訴えていた。(写真)言論の自由、表現の自由が抑え込まれていたことを写真は雄弁に語っている。取材する外国人記者も軍事政権は容赦なく弾圧してきた。

違法とされた民衆デモと武装警官が対峙した場合の取材では、まず民衆側の後ろに入り込徐々に前に行く。武装警察とデモが衝突する映像を撮ることができたら直ちに民衆側を離れ、今度は武装警官側につき武装警察が暴力で民衆デモを鎮圧する様子を撮影する。長い取材経験で覚えた安全かつ良いポジションで撮影するコツだ。無論危険な目に何度も遭遇した。日本大使館から携帯電話で危険を知らされ、間一髪難を逃れたこともある。
取材中は毎日のように民間人を装った秘密警察に写真を撮られた。当時ミャンマーでは5人に1人が民間人を装う秘密警察だと言われていた。タクシーの運転手、公園を掃いてい。るお爺さんそれにマーケットの売り子まで誰が秘密警察官なのかまるで分からない。同業他社の記者は原稿をチリ紙に書き、電話で送稿したあとチリ紙をトイレに流し、原稿の内容を隠滅した。
取材を終えた直後、カメラマンと共に武装警官に追いかけられたこともある。カメラマンは取材したばかりの録画済み取材テープを取り上げられまいと走り出したが、機材が重く思うように逃げられない。カメラマンは身軽な筆者に向けてその取材テープを投げた。取材テープをうまくキャッチし走り出したものの、普段訓練を積んでいる武装警官と運動不足の筆者では全く勝負にならず、結局追いつかれ取材テープは武装警官に取り上げられてしまった。
そんな軍事政権下、国営の『ニューライト・ミャンマー』だけは発行を許されていた。ニューライト・ミャンマー社を取材した事があるが、倉庫のような本社には粗末なデスクが並んでいるだけの学校の新聞部の規模だった。そして人の良さそうな編集長も軍事政権寄りの姿勢を崩すことはなかった。
報道の自由や言論の自由、民主主義に飢えたミャンマー市民は自由な記事が満載されている民間の新聞に期待を寄せている。
写真1:校内に閉じ込められた学生デモ
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