第204回 国を超えて協力するイスラム教徒 直井謙二

第204回 国を超えて協力するイスラム教徒
2013年1月16日アルジェリアのイナメナスで起きたイスラム武装勢力による襲撃事件で日本人10人を含む8か国の37人が死亡した。海外で働く日本人のみならず国際的なビジネスに頼らざるを得ない日本に大きなショックを与えた。
犯行グループのリーダーはアルカイダ系の組織にも関係していたアルジェリア出身の男だが、今回の事件も多国籍グループの犯行のようだ。一方、ほとんど情報を流さないまま武力で鎮圧したアルジェリア政府と日本など被害を出した国との間で亀裂が見られた。事件対応の協力を呼びかけた欧米や人質安全の優先を要請した日本政府も無視され、事件はアルジェリア政府の独断による武力鎮圧で終結した。国家主権の壁を感じさせる事件だった。イスラム教徒にとってはイスラム教徒かどうかで区別し、国や国境の意識は薄いようだ。
80年代の初めのカンボジア内戦で多数の難民が国境を越えてタイ側に流れ、国境沿いに巨大な難民キャンプができた。難民は柵で囲まれたキャンプ内の粗末な小屋で生活し、学校も商店もキャンプ内にあってタイ人と同じ仏教徒にもかかわらずカンボジア難民はキャンプから一歩も外に出られない。
一方、アフガニスタンでも旧ソビエトの侵攻をきっかけに内戦が起きた。80年代半ばにパキスタンのペシャワールにあるアフガン難民キャンプを何度か取材したことがある。アフガン難民の場合は国籍が違っても同じイスラム教徒として自由に難民キャンプを出てパキスタン最大の商業都市カラチなどで仕事もできた。パキスタンの首都イスラマバードでは時折アフガン・バザールが開かれ、アフガンの工芸品や特産物をパキスタン人が買い求めていた。(写真)

イスラマバードには「アフガン通り」という名の通りもあって、商売に成功した難民の商店が軒を並べていた。
90年代の初め、ユネスコ主催の「海のシルクロード」プロジェクトを取材した。オマーンの王様の提供した豪華な船でベネチアを出発し、インド洋を渡ってマラッカをぬけ南シナ海を通って日本の平戸までの船の旅だ。イスラム大国インドネシアに到着したとき、オマーンのカメラクルーとインドネシアの市民が会話している場面に遭遇した。互いにコーランを通しておぼえたアラビア語で話ができるようだ。
治安当局は国家主権にこだわり、イスラム武装勢力には国の垣根がない。これがイスラム武装勢力の取り締まりのネックになっている。
写真1:商談成立、握手するパキスタン人とアフガニスタン人
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