第202回 石澤良昭前上智大学学長の叙勲 直井謙二

第202回 石澤良昭前上智大学学長の叙勲
昨年の秋、都内のホテルで上智大学前学長石澤良昭教授の「瑞寶重光章」受賞を祝うパーティが開かれた。石澤教授はアンコールワット研究の第一人者で、内戦のさなかのカンボジアで地道な研究を続け、バンティアイ・クディで廃棄された仏像を発掘するなど輝かしい成果を上げた。
石澤教授に初めて会ったのは1980年代の半ば炎天下のアンコールワットの人気のない参道だった。2、3冊のガイドブックを読んだだけの素人の筆者にアンコールワットの由来、豪雨などによる遺跡の破壊と修復などについて小学生に諭すように解説してくれた。この時アンコールワットではインドの修復チームが活動していた。
ヒンズー教の文化の影響を受けたアンコールワットの修復にインドが参加することは当然だと思ったが、インド隊は清掃作業にダイオキシンで遺跡を洗い、壊れた遺跡の一部をインド文化と土着の文化が融合させた発想のもので増築してしまった。外国による勝手な増築は好ましくない。石澤教授はカンボジア人の手でアンコール遺跡の研究や修復を行うべきだと確信した。しかし、ポルポト政権の虐殺行為や内戦でアンコールワット研究に携わる学者も大勢殺害され、わずか2名しか生存していなかった。
90年代、石澤教授は遺跡の研究と修復の傍ら、カンボジアの若い学者の育成に取りかかった。だが内戦の影響で書籍はおろか教室すらない状態だった。
その後、アンコールワットの参道入り口にある大木の木陰で青空学級が始まった。フランス語による講義を聴く学生の目は輝いているが、遺跡に対する知識もほとんどなく石澤教授の気の遠くなるような指導が始まった。やがて粗末な教室が出来た。92年国連UNTACの主導による総選挙が実施された。総選挙を巡ってカンボジア国内が再び混乱、保護センターが襲われ貴重な遺跡が盗まれ、紛争を逃れ1,000人以上がアンコールワット内に逃げ込み、生活排水で遺跡が傷むなど、修復も思うに任せなかった。
アンコールワットの参道はフランスの手で1930年代に右半分修復されたが、その後の長い戦乱で賛同の左側は修復されないまま残されていた。(写真)
上智大学のアンコールワット修復委員会は残りの左半分の修復に取りかかっている。

「瑞寶重光章」受賞を祝うパーティで挨拶に立った石澤教授は優秀なカンボジア研究者が育っていること、パーティの参加費の一部で修復する参道に敷く石を買うことを報告した。参加者の石澤教授へのお祝いはアンコールワットの敷石になった。
写真1:修復を待つ参道の「左側」
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