1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 第184回 山地震遺跡記念公園 直井謙二

記事・コラム一覧

第184回 山地震遺跡記念公園 直井謙二

第184回 山地震遺跡記念公園 直井謙二

第184回 山地震遺跡記念公園

昨年、中日友好協会の招待による日本ジャーナリスト訪中団の一員として四川大地震の被害地を視察しましたが、今年は1976年に四川大地震の3倍近い24万人の死者を出した河北省唐山市の地震記念公園を訪ねました。

震災から3年目の四川省の被災地はまだ倒壊した建物が残り、がけ崩れが放置されたままで震災の傷跡をなまなましく残していましたが、唐山市は震災から36年経ち遺跡公園以外では当時をしのぶことは出来ませんでした。

震災の激しさ、そして人民解放軍が被災者に歓喜の声で迎えられ、瓦礫の下から生存者を救出する模様の写真や壁面彫刻、それに実物大の模型が記念館の内部に展示されていました。人民解放軍が使った旧式の車や道具も時代を感じさせましたが、木の箱に収められ大事に保管された「毛沢東語録」は文化大革命終了直後の地震だったことをうかがわせていました。

鄧小平や震災から10年目に被災地を訪れた江沢民、それに20年目に被災地を訪れた胡錦濤らが被災地を訪れた時の様子が一段と大きな写真で展示されていました。地震直後被災者のために建設された仮設住宅の実物大の模型もありました。レンガ造りの6畳ほどの土間が半分と一段高い居間だけの質素な建物でした。中には小さな椅子と鍋、それに手作りのテーブルがあるだけで、被災者が長く苦しい生活を強いられた様子がうかがえました。(写真)そして壁には毛沢東の写真が飾られていました。

記念館の外には激しい地震で崩れた工場が残されていましたが、風化が激しくて地震による被害なのかどうかが良く分からないほどでした。

ただ、地震で死亡した24万人分の名前が一人一人刻まれた延々と続く被災者名簿の壁だけが地震の大きさを示していました。展示は地震の大きさと被害、それに政府が復興に力を尽くした様子が強調され、今後の地震対策に言及する部分が見当たりませんでした。そのあたりを唐山市の市職員に対策について尋ねましたが、今後300年唐山市では大きな地震は起きないという返事が返ってきました。科学的根拠についてはどうなのかと聞くと、口を閉ざしました。1,000年に一度の地震は起きないことにした日本の原発安全神話を思い出していました。
見学が終わりバスに乗り込み、唐山市の市街を通過しました。近代的で立派な高層ビルに挟まれ、多くの粗末な民家が点在していました。レンガを積んだだけの粗末な民家の中にはトタン屋根の上に石を乗せただけのバラックも目立ち、再び地震が起きれば36年前に戻ってしまうという懸念が残る訪中になりました。


写真1:地震直後被災者のために建設された仮設住宅

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》次回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》の記事一覧

 

タグ

全部見る