第182回 日本企業を待つ中日唐山曹妃甸エコ工業パーク 直井謙二

第182回 日本企業を待つ中日唐山曹妃甸エコ工業パーク
日本人になじみ深い天津。そして天津と言えば甘栗。ところが天津の周りを見回しても栗畑は見当たらない。天津港は海岸が切り立つ良港だ。しかし一方で隣の唐山海岸は遠浅で大型の船が接岸できなかった。唐山で収穫された栗は隣の天津まで陸路で運ばれ天津甘栗として輸出された。
天津はすでに工業開発区を整備し、シンガポールや日本企業の誘致を進めている。良い港は唐山の長年の願いだった。最新の技術で掘削し、海底の土砂を埋め立て大型の貨物船が停泊できる港を整備した。幹線道路を通し、巨大な工業団地を造り天津同様日本をはじめとする外国企業の誘致に乗り出した。天津と差別化するため低炭素、エコを全面に出し、「中日唐山曹妃甸エコ工業パーク」を設け、エコの最新技術を持つ日本に期待している。
東アジア共同体構想の推進を打ち出した鳩山元総理は2010年8月、現地を訪れ、「震撼」「感動」「百聞は一見にしかず」などの言葉を残した。中国側は大きな期待を寄せた。
これより先5月には経団連の米倉会長も現地を視察した。だが案内された巨大な港には香港からの貨物船が石炭の荷降ろしを行っていたが、他には小さな漁船が見えるだけだった。

鳩山元総理は称賛したが、インフラ整備は進んでも外国からの投資はこれからのようだ。
また唐山を訪れた8月の初めは北京を含め大雨が襲った後だったこともあって道路は冠水し、排水の心配がありそうだ。さらに24万人が死亡した唐山大地震を経験した唐山市、港を始めとする津波対策に疑問が残った。
鳩山元総理や米倉経団連会長が現地を訪れてからの2年間の間にさまざまな問題が起きた。
中国に期待された日本は東日本大震災が起き、尖閣諸島を巡って日本と中国の軋轢が強まり、中国の有力な輸出国だったヨーロッパでは金融危機が起き、中国自身の経済成長にも陰りが出てきた。
2年経って実際に進出した日本企業はわずかに1社、それも唐山曹妃甸エコ工業パークのインフラ整備のためにパイプを供給する企業だ。
常に天津の後塵を拝し、天津の名を高める裏方に回り、ようやく天津に負けないインフラを整備した途端に世界の経済情勢の壁などが立ちはだかった。
ボーリング場など娯楽施設も隣接する広大な工業団地はほとんど未入居で人影はない。
無機質なエコ工業パークに賑わいが出るのは当分先のことになりそうだ。
写真1:人影のない中日唐山曹妃甸エコ工業パーク
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