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第172回 脚光を浴びるミャンマーのダウェイ 直井謙二

第172回 脚光を浴びるミャンマーのダウェイ 直井謙二

第172回 脚光を浴びるミャンマーのダウェイ

ミャンマー南部のタボイの地名については今でも鮮明に記憶に残っている。

1987
1129日、北朝鮮の金賢姫元工作員らによって大韓航空機爆破事件がおこされた。その時「機影はバンコクの西200キロのタボイ沖で消えました」とバンコクからレポートした。あれから25年の歳月が過ぎ、「タボイ」という地名は「ダウェイ」に変わり、今では一大物流拠点として注目を浴びていると言う。

ベンガル湾と南シナ海を結ぶ物流は宋代に始まった海のシルクロードの時代から盛んになったと言われている。軽くて扱いやすい絹製品はラクダに乗せタクラマカン砂漠を横切る砂漠のルートで運ばれたが、景徳鎮などで生産される陶器はラクダの背中に乗せて運ぶには重くて壊れやすい。

重くて壊れやすい陶器は大型帆船に乗せ南シナ海を南下し、シャム湾の南を通ってマラッカ海峡を抜け、ベンガル湾に至る複雑な海のルートを通るしかなかった。特にマラッカ海峡は狭くて危険なうえ、現代でも海賊の被害が懸念される危険な地点である。

当時、マレー半島が一番細くなっているタイのハジャイ付近に半島を貫く道路を作り、陸路でシャム湾とアンダマン海を結ぶ計画もあったが、短距離でも山道を越えて傷つける事無く陶器を運ぶのは非常に困難で、道路開通計画は挫折した。

90
年代初頭カンボジア紛争が解決したことにより、にわかに注目されたのがベトナムのホーチミンからカンボジア南部を走り、バンコクを経由してミャンマーのダウェイまでインドシナ半島を東西に貫く南部回廊だった。民主化が進まないミャンマーは欧米などから経済制裁を受け計画は遅れていたが、去年の民政移管がきっかけとなり民主化が進み、にわかに活気づいた。また南部回廊の南に支配地区を持つカレン族との和解が進み期待はさらに高まっている。

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ダウェイでは大型コンテナ船が入港できる港や石油化学プラントや製鉄所が並ぶ工業団地も整備されると言う。これまで中国に頼っていたミャンマーが民政移管に伴い多方面外交に舵を切りはじめた。

ダウェイ港はタイ企業が整備すると言う。開発資金については日本にも期待が寄せられているが、ミャンマー軍事政権のたび重なる方針変更で苦い経験をした日本の民間企業はいまのところ様子を見ている段階だ。また民主化が進むタイでは開発による環境破壊に対する住民の反対運動が活発になっている。

ミャンマー国内の道路の整備にも時間がかかりそうだ。(写真)マラッカを通らず、マレー半島かインドシナ半島を貫く物流という1,000年前からの夢になお大きな壁が立ちはだかっている。


写真1:道路が荒れているタイ国境付近のミャンマー

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